下出部村(読み)しもいずえむら

日本歴史地名大系 「下出部村」の解説

下出部村
しもいずえむら

[現在地名]井原市下出部町

高屋たかや村の東にあり、東西に走る山陽道に沿って街村を形成。東接する上出部村とともに古代後月しつき出部いずべ(和名抄)の遺称地とされる。八幡宮の南に戸木荒神山ときこうじんやま城跡がある。「備中府志」によれば伊達大蔵築城。大蔵は弘治年中(一五五五―五八)に伊勢長左衛門尉長盛と戦い討死、その後尼子氏麾下の吉岡新左衛門尉などが在城したという。

元和三年(一六一七)より寛永一五年(一六三八)までは成羽藩領、その後幕府領となり、元禄一〇年(一六九七)から宝永三年(一七〇六)までは西江原藩領、翌四年に幕府領に復し、文政一〇年(一八二七)以降は三卿の一橋領となり幕末に至ったと考えられる(「寛政重修諸家譜」など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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