下小金井村(読み)しもこがねいむら

日本歴史地名大系 「下小金井村」の解説

下小金井村
しもこがねいむら

[現在地名]小金井市中町なかちよう一―四丁目・東町ひがしちよう一丁目・同五丁目・本町ほんちよう一―六丁目・緑町みどりちよう一―五丁目・桜町さくらちよう一―二丁目、三鷹市大沢おおさわ三丁目

上小金井村の北に位置し、北と東は下小金井新田川流域の南東に延びた地域は北が南梶野みなみかじの・上小金井新田、南東は大沢おおさわ新田(現三鷹市)、西は上石原かみいしわら村飛地(現調布市)押立おしたて村・小田分おだぶん(現府中市)に接する。江戸時代初期は上小金井村と一村で小金井村と称した。天和三年(一六八三)に分村し、高五六五石余で、田七一石余・畑四九三石(寛保三年「差出帳控」梶家文書)玉川上水の下小金井村分水の築造時期は不詳であるが、元禄九年(一六九六)せん川を越すための樋が築かれている(「小金井市誌」年表編)。宝永四年(一七〇七)同用水の残水を上小金井村と共同で使用したいという願書を出している(東京市史稿)。甲州道中府中宿の助郷を勤め、延享三年(一七四六)の助郷高五七八石(「府中宿助郷帳」梶家文書)。同宿の御前栽瓜御用も勤めた(前掲差出帳控)。宝暦九年(一七五九)の村鑑帳(鴨下家文書)によれば家数一四五・人数六四二。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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