下村 房次郎(読み)シモムラ フサジロウ

20世紀日本人名事典 「下村 房次郎」の解説

下村 房次郎
シモムラ フサジロウ

明治期の実業家,新聞人



生年
安政3年4月4日(1856年)

没年
大正2(1913)年2月21日

出生地
紀伊国和歌山(和歌山県)

経歴
年少の頃、藩立の時習館および兵学寮に学び、のち大阪に出て学を修め、明治9年和歌山県準判任御用掛となり、13年「和歌山日日新聞」主幹を経て、18年東京に出て逓信省に務め、郵便電信学校の創設など行政整備吏員養成に尽くし、また雑誌「交通」を発刊する。26年退職し、以後、「東京日日新聞」客員となり、内国生命保険の設立に関わり顧問を務める。34年には日露貿易急務を唱え、当局者に力説すると共にロシア国公使と会見して貿易に関する覚え書きを交換し、また同志25名とロシアに赴くなど日露貿易を推進した。この間、台湾茶株式会社の創立にに尽力、傍ら通信官吏練習所講師を兼ねた。著書に「教育新論」「済世小言」「交通汎論」「官吏論」「鉄道論」などのほか多数。ジャーナリスト下村宏(海南)は長男。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「下村 房次郎」の解説

下村房次郎 しもむら-ふさじろう

1856-1913 明治時代の新聞人,官吏。
安政3年4月4日生まれ。下村海南の父。「和歌山日日新聞」主幹をへて,逓信省につとめ,行政の整備と吏員の養成につくす。また,雑誌「交通」を発刊。明治26年退職し,「東京日日新聞」客員となり,内国生命保険の設立にかかわったほか,日露貿易を推進した。大正2年2月21日死去。58歳。紀伊(きい)和歌山出身。著作に「交通汎論」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例