下東弁分村(読み)しもひがしべんぶんむら

日本歴史地名大系 「下東弁分村」の解説

下東弁分村
しもひがしべんぶんむら

[現在地名]日南市東弁分乙ひがしべんぶんおつ東弁分甲ひがしべんぶんこう

上東弁分村南東広渡ひろと川の左岸に位置し、南は益安ますやす村。単に下東村ともいい、天保郷帳などでは東弁分村ともみえる。かつては上東弁分村・松永まつなが村と一村で東弁分村と称していた。同村は伊東祐兵の入部以来飫肥藩領であったが、寛永一三年(一六三六)三代藩主伊東祐久が弟祐豊に分知した折に東弁分村のうちから祐豊に与えられた地が松永村として分立、次いで明暦三年(一六五七)に四代藩主伊東祐由が弟祐春に分知した際、祐春領となった地が上東弁分村となり、飫肥藩領のままであった地が当村となった。用水路も多く水利の便はよかったが、水害も多かった(日向地誌)。六代藩主伊東祐永の時代の上東村絵図南文庫)によると上東弁分村の北西部、同村土楽ヵ平どらくヵびらの西麓の祥雲寺の周辺(現東弁分甲)は当村の飛地であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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