下桜田村(読み)しもさくらだむら

日本歴史地名大系 「下桜田村」の解説

下桜田村
しもさくらだむら

[現在地名]山形市蔵王桜田ざおうさくらだ中桜田なかさくらだ一丁目・桜田東さくらだひがし一―四丁目・桜田西さくらだにし一―四丁目・元木もとき二―三丁目・青田南あおたみなみ白山はくさん

飯田いいだ村の北西に位置し、川東岸平地に立地。西方坂巻さかまきは羽州街道に沿う街村。瀧山りゆうざん(岩波川)扇状地の最西部で、大犬おいぬ川と坂巻川を利用し早くから耕地が開けたとみられ、岩波石行しやくぎよう寺蔵の延文五年(一三六〇)四月八日書写の大般若経写経の奥書に、料紙檀那として「桜田北目四郎五郎」の名がみえる。

最上氏改易後は山形藩領、延享三年(一七四六)下総佐倉藩領、翌四年陸奥棚倉藩領、宝暦一三年(一七六三)再び佐倉藩領となる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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