下石見村(読み)しもいわみむら

日本歴史地名大系 「下石見村」の解説

下石見村
しもいわみむら

[現在地名]日南町下石見

大倉おおくら(一一一二メートル)の西麓、北流する石見川沿いに長く広がる村。右岸南は銀山ぎんざん村。同川は北の生山しようやま村で日野川に合流する。村名の石見は大倉山山頂に住んでいた牛鬼の家が見えたことに由来するという(「大石見神社縁起」多田家文書)正保国絵図に下岩見村とみえる。藩政期には当村および塚原つかばら立石たていわ無坂むさか花口はなぐち大原おおはらの六ヵ村は下石見郷と称され、石見川の銀山村より上流の村々は上石見郷とよばれた。拝領高は八一一石、本免は六ツ。寛文四年(一六六四)の土免状(矢田貝家文書)によると高八八四石余(うち畑高一〇七石余)、残高八八一石余に対して免六ツ六分で、物成五八一石余。文化一二年(一八一五)従来どおりの悪田浮加損米一石が免ぜられた(三輪家文書)幕末の六郡郷村生高竈付では生高九七二石余、竈数一〇二。「伯耆志」では林三八八町二反余、家数九九・人数五〇九、鑪山として大倉山・押谷おしだに山があった。藪役七〇匁が課されていた(日野郡史)。延享三年(一七四六)の巡見使案内手帳(宇田家文書)によると、鑪一に運上銀七〇匁が課されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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