下荻原村(読み)しもおぎはらむら

日本歴史地名大系 「下荻原村」の解説

下荻原村
しもおぎはらむら

[現在地名]三富村下荻原

笛吹川を挟んで上柚木かみゆのき村の北に位置し、同川の渓谷右岸に立地する。秩父ちちぶ往還が通り、北は徳和とくわ川のの橋を渡り下釜口しもかまくち村に対する。慶長七年(一六〇二)の下荻原村地詰帳(県立図書館蔵)では麻畑一反余・上畑九反余・中畑一町一反余・下畑六反余・下々畑五反余・山畑三反余、屋敷数五。慶長古高帳では高二一石余、幕府領。元禄郷帳では甲府家領。宝永元年(一七〇四)に甲府藩領。享保九年(一七二四)幕府領となり石和代官支配。幕末には甲府代官支配となる(旧高旧領取調帳)。貞享元年(一六八四)検地帳(県立図書館蔵)では高三〇石余、反別は麻畑一反余・上畑一町六反余・中畑八反余・下畑一町二反余・下々畑一町二反余・山畑一町二反余、屋敷数一八。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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