不二洋子(読み)フジ ヨウコ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「不二洋子」の解説

不二 洋子
フジ ヨウコ


職業
女剣劇

本名
迫 静子(サコ シズコ)

生年月日
明治45年 3月18日

出生地
香川県

出身地
広島県

経歴
大正6年父の関係していた旅回りの一座で初舞台。昭和6年市川右太衛門プロへ入り、和歌浦浪子の名で映画デビューするが、半年で飛び出す。のち伊村義雄の剣劇を見たのがきっかけで女剣劇を思いつき、名を不二洋子と改め、9年名古屋宝生座で不二洋子一座を旗揚げした。同年浅草進出、初代大江美智子と並んで女剣劇ブームを巻きおこした。戦後も2代目大江、浅香光代らと浅草を中心に活躍、男性的な魅力で女性客に人気があった。代表作に「国定忠治」「瞼の母」など。

受賞
芸術祭奨励賞〔昭和35年〕

没年月日
昭和55年 5月11日 (1980年)

伝記
夢まぼろし女剣劇 森 秀男 著(発行元 筑摩書房 ’92発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「不二洋子」の解説

不二 洋子
フジ ヨウコ

昭和期の女剣劇家



生年
明治45(1912)年3月18日

没年
昭和55(1980)年5月11日

出生地
香川県

出身地
広島県

本名
迫 静子(サコ シズコ)

主な受賞名〔年〕
芸術祭奨励賞〔昭和35年〕

経歴
大正6年父の関係していた旅回りの一座で初舞台。昭和6年市川右太衛門プロへ入り、和歌浦浪子の名で映画デビューするが、半年で飛び出す。のち伊村義雄の剣劇を見たのがきっかけで女剣劇を思いつき、名を不二洋子と改め、9年名古屋宝生座で不二洋子一座を旗上げした。同年浅草へ進出、初代大江美智子と並んで女剣劇ブームを巻きおこした。戦後も2代目大江、浅香光代らと浅草を中心に活躍、男性的な魅力で女性客に人気があった。代表作に「国定忠治」「瞼の母」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「不二洋子」の解説

不二洋子 ふじ-ようこ

1912-1980 昭和時代の舞台女優。
明治45年3月18日生まれ。昭和9年名古屋で女剣劇の一座を結成。のち東京浅草に進出,大江美智子とともに女剣劇全盛期をもたらした。代表的舞台に「国定忠治」「瞼(まぶた)の母」がある。昭和55年5月11日死去。68歳。広島県出身。本名は迫(さこ)静子。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「不二洋子」の解説

不二 洋子 (ふじ ようこ)

生年月日:1912年3月18日
昭和時代の舞台女優
1980年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の不二洋子の言及

【剣劇】より

…第2次世界大戦後は民主思想の発達に伴い一時は急速に影を薄めたが,昭和20年代の後半にはまたかなり行われるようになった。なお,剣劇の全盛期に派生的所産として〈女剣劇〉が生まれたが,弱いとされている女性が主演して,女装あるいは男装して剣をふるって多くの男性を斬り倒すところにやや倒錯的な興味をひき,不二洋子,2代にわたる大江美智子(初代は1939年に病死,2代は1919年生れ),伏見直江,富士嶺子,筑波澄子,浅香光代(1931‐ ),中野弘子らの女剣劇一座を輩出させた。戦後はむしろ,この女剣劇が剣劇の劇団を代表するような形で人気を集めていたが,高度成長期とともに衰え,現在では一つのジャンルとしてはほとんど消滅しているといってよい。…

※「不二洋子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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