哲学者。広島県竹原町に生まれた。京都大学哲学科を卒業,講師となる。1930年に雑誌《美・批評》を創刊。33年に京都大学法学部教授滝川幸辰が文部大臣によってその自由主義思想のゆえに職を免ぜられる事件(滝川事件)が起こり,こうしたファシズムの危機に対抗するため,35年に《美・批評》を改題して月刊誌《世界文化》とするにあたり,その中心となった。36年にはこれと並行して斎藤雷太郎の出していた《京都スタジオ通信》を《土曜日》と改題して月2回刊の文化通信とし,巻頭言を書いた。37年11月に《世界文化》同人とともに治安維持法違反で検挙され,懲役2年執行猶予2年の判決を受けて,以後沈黙を余儀なくされた。第2次大戦後は尾道図書館長,48年に国会図書館副館長に就任。自然の模倣理論を超えて機械の美ととりくむ《美学入門》,コミュニケーションの歴史を再考して集団的思考への道をひらく《委員会の論理》,集団的主体の成立の条件をさぐる《スポーツ気分の構造》などで前人未踏の領域にふみこんだ。
執筆者:鶴見 俊輔
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昭和期の美学者,文化運動家
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…しかし,執筆者があいついで検挙され,廃刊した。同人は中井正一(まさかず),新村猛,久野収,武谷三男,真下信一,和田洋一,禰津正志(ねづまさし)などの京都大学出身者で,京都で発行された。西欧の反ファシズムの潮流の紹介(〈世界文化情報〉)のほか,中井正一《委員会の論理》のような独創的論文の発表の場となった。…
…当初は《京都スタジオ通信》として1935年8月に映画の大部屋俳優であった斎藤雷太郎により創刊され,第12号から《土曜日》と改題された。改題以後は中井正一,能勢克男が編集に加わる。フランスの人民戦線の流れをくむ活動で,映画についての記事があり,喫茶店におかれるなど,大衆文化との接触を保ち,半世紀後の日本の各都市のタウン誌の先駆でもあった。…
…〈反ファシスト知識人監視委員会〉の運動を紹介した,1934年10月の小松清の〈仏文学の一転機〉は大きな反響を呼び,知識人の行動と連帯が雑誌《行動》を中心に広く論議されるが,左翼教条主義の立場からの攻撃で翌年半ばには反ファシズム戦線の萌芽は踏みにじられてしまう。次いでフランスの人民戦線政府に触発されて36年から37年にかけて,舟橋聖一らの〈行動文学〉,林房雄の〈独立作家クラブ〉,1935年成立の〈日本ペンクラブ〉,京都の中井正一らの《世界文化》と《土曜日》などの雑誌,新聞,組織,さらに三木清,中島健蔵,清沢冽らの個人が,ヒューマニズムの提唱というかたちでファシズムへの抵抗を呼びかけるが,37年の日中戦争開始とともに,それらの動きはことごとく一掃されてしまうのである。レジスタンス文学【渡辺 一民】
[イタリア]
イタリアの文学史は20世紀の圧倒的なファシズム支配下の時代を指して,しばしば〈黒い20年間〉と呼んでいる。…
※「中井正一」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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