朝日日本歴史人物事典 「中山三屋」の解説
中山三屋
生年:天保11.9.25(1840.10.20)
幕末期の勤王家,歌人。宮,みやとも書く。大納言中山忠能家に仕える長州出身の戸倉岱介(後名中山忠道)と中山家の奥女中で歌人室谷民子の娘といわれる。父は忠能との説もある。6歳で歌会に出席,香川景恒門下で早くから注目された。13歳で母に死別後剃髪し,以後尼姿で関西,中国地方を巡り各地の動向を忠能宛に書き送り,スパイとして活動したものと考えられる。各地の志士,豪商たち約400名を記録した自筆の「人名覚」は,幕末の勤王運動家の研究に貴重。維新後,遊学のため長崎へ向かったが,病を得て急ぎ父の故郷へ向かう途中,防府で客死。三屋三十三回忌追善集『浮木廼亀』は三屋と交遊のあった宮中御歌所長高崎正風の命名。<参考文献>柴桂子「埋もれた勤王女流歌人 中山三屋」(『江戸期おんな考』3集)
(柴桂子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報