中華民国維新政府(読み)ちゅうかみんこくいしんせいふ

世界大百科事典(旧版)内の中華民国維新政府の言及

【中華民国】より

…国民政府は重慶に移り,抗戦を堅持した。日本軍の占領地域では,1937年12月に北京で中華民国臨時政府が組織されて華北5省の支配に当たり,38年3月に南京で中華民国維新政府が組織され,江南・長江(揚子江)流域の支配に当たった。これらはやがて40年3月に汪兆銘を頭につくられる〈統一〉傀儡(かいらい)政権=中華民国国民政府(汪兆銘政権,南京)に統合されるのだが,抗日戦争中の中国は,大きくいって日本・傀儡政権支配下の〈淪陥区〉と重慶政府に属する〈大後方〉の二つの部分に分かれていたのである。…

【日中戦争】より

…中国の回答が遅れると近衛内閣は交渉を打ち切り,〈爾後国民政府を対手とせず〉と声明した。占領地には日本軍の指導で蒙疆連合委員会(1937年11月22日蒙古連盟,察南,晋北の自治政府が連合して成立),華北の中華民国臨時政府(1937年12月14日王克敏を行政委員長として成立),華中に中華民国維新政府(1938年3月28日梁鴻志(りようこうし)を行政院長として南京に成立)がつくられたが,旧軍閥時代の政治家を中心とする傀儡政権にすぎなかった。中国はまもなく活発な抗戦に出て,1938年4月には山東省南部の台児荘で日本軍を後退させて大勝利を宣伝した。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」