亀沢郷(読み)かめざわごう

日本歴史地名大系 「亀沢郷」の解説

亀沢郷
かめざわごう

現亀沢地域に比定される。永禄三年(一五六〇)一二月一七日、武田信玄は亀沢に対し五日間のうちに漆二〇盃を納入するようにと命じている(「武田信玄印判状」桑原彦次家文書)。郷内の漆戸うるしどで漆を生産したのであろう。翌四年の番帳の八〇番に亀沢諏訪明神(現船形神社)禰宜がみえる。徳川家康は天正一〇年(一五八二)八月一一日に御岳衆の一人相原内匠助友貞に亀沢内五〇貫文などを与え(「徳川家印判状写」社記)、一一月八日には金丸門右衛門尉に本領として亀沢内一八貫文などを(「徳川家印判状写」金丸家文書)、一二月三日には坂本作右衛門尉に亀沢内山之口一貫五〇〇文などを(徳川家印判状写「巨摩郡古文書」若尾資料)、一二月五日には饗場修理亮に亀沢内二貫二〇〇文などを安堵した(「徳川家印判状写」中巨摩郡志)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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