二本柳村(読み)にほんやなぎむら

日本歴史地名大系 「二本柳村」の解説

二本柳村
にほんやなぎむら

[現在地名]小国町二本柳

相野原あいのはら村の北東。かつては渋海しぶみ川左岸にあったという。小国西組に属する。正保国絵図にはすでに右岸に記され、二本柳新田とあり、高一九八石余。近世初めは高田藩領。天和元年(一六八一)から幕府領、正徳元年(一七一一)から与板藩領、文化一二年(一八一五)再び幕府領、文政元年(一八一八)出羽国上山藩領。元禄五年(一六九二)の小国西組郷鏡帳(柏崎市立図書館蔵)では高二二八石一斗余となり、田一四町六反余・畑屋敷八反余。


二本柳村
にほんやなぎむら

[現在地名]五所川原市石岡いしおか

津軽平野北部、東南真黒屋敷まぐろやしき村、西南姥萢うばやち村、北東は唐笠柳からかさやなぎ村、北西は石岡村に接する。

貞享元年(一六八四)の郷村帳に寛文四年(一六六四)以後の新田として二本柳村二一五・七石とある。貞享四年の検地帳は田方六町六反二畝二九歩・畑方一町六反八畝七歩、田畑屋敷合せて八町三反一畝六歩、村高七六・二六六石と記す。


二本柳村
にほんやなぎむら

[現在地名]横手市黒川くろかわ字二本柳

南は黒川村枝郷悪土あくど村、西は黒川村に接する。仙北せんぼく大曲おおまがり(現大曲市)寄郷であった。享保一五年(一七三〇)の「六郡郡邑記」によれば、横手川の流路が北方に移動し、村の一部と悪土村が川の南となり、当村の高のうち、約三分の一にあたる一七石八升六合が川の南になり、総家数八軒。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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