五人組(読み)ゴニングミ

デジタル大辞泉 「五人組」の意味・読み・例文・類語

ごにん‐ぐみ【五人組】

江戸幕府が町村に作らせた隣保組織。近隣の5戸を一組とし、互いに連帯責任で火災・盗賊・キリシタン宗門などの取り締まりや貢納確保・相互扶助に当たらせたもの。
19世紀後半に、ロシア国民主義音楽を確立した五人の作曲家。バラキレフムソルグスキーキュイリムスキー=コルサコフボロディン。→国民楽派

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精選版 日本国語大辞典 「五人組」の意味・読み・例文・類語

ごにん‐ぐみ【五人組】

[1] 〘名〙
江戸時代、古代の五保制にならった庶民の隣保組織。「五人与(くみ)」と書き、五人組合ともいい、地方によっては十人組もあった。その長を五人組頭、または判頭(はんがしら)と称した。戦国時代、下級武士の軍事編制にも五人組がみられたが、江戸幕府成立後、民間の組織として制度化された。初めはキリシタンや浪人の取締りを主眼としたが、後には法令の遵守、相互監察による犯罪の予防・取締り、連帯責任による貢租完納および成員の相互扶助的機能に重点がおかれるようになった。
※慶長見聞集(1614)五「とかの子細の有ければ年寄五人組引つれて御代官の花山湯島へいそぎ参るべし」
② 江戸時代、特に寺院で、ある一定の地域内での同宗派の法中五軒で組織した自治機関。
※浮世草子・新色五巻書(1698)五「一寺の和尚共いわるる身が女房狂ひなどし、あまつさへ孕(はらませ)〈略〉出家見せしめにきっと詮義を仕る、五人組(ごにんグミ)はどこどこぞ」
③ (五本の指を用いるところから) 男子の自慰手淫をいう語。女子の「二本指」などに対していう。
※茶屋諸分調方記(1693)四「さもあらば五人組の一せんをみづからはげみ給へ」
[2] 一九世紀後半、グリンカのあとを受けてロシアの国民主義の音楽を樹立した五人の作曲家の呼称。バラキレフ、ムソルグスキー、キュイ、リムスキー‐コルサコフ、ボロディンの五人。その後のヨーロッパ近代音楽に大きな影響を与えた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「五人組」の意味・わかりやすい解説

五人組
ごにんぐみ

江戸時代の村や町における最末端の行政組織。村では本百姓(ほんびゃくしょう)、町では家持(いえもち)(地主)、家主(いえぬし)をそれぞれ近隣の5戸ずつを原則として組み合わせて構成した。五人組の機能は、年貢納入、治安維持につき組の構成員が連帯責任を負うところにあり、組内に年貢不納の者や欠落(かけおち)をする者が出ると、組として弁済の責任を負わされ、また五人組内に犯罪者がいるときは、密告を強制され、知りながらそれを怠ると処罰された。また日常生活で相互に監視しあうことを強いられ、質地などの土地移動でも連帯責任を負わされた。その反面、五人組の百姓は、仲間として日常生活での相互援助も行ったが、どちらかといえば農民の支配や監視のための組織という性格が強かった。

 五人組はもとは戦国時代の農民の自衛組織として成立したが、豊臣(とよとみ)秀吉がこれを全国に行政組織とし、1597年(慶長2)に掟(おきて)を定め、侍には五人組、百姓・町人は十人組をつくらせ、制裁規定も定めた。江戸幕府はこの制度を踏襲し、17世紀中ごろまでに多くの法令を出し、制度として整備した。五人組の組織を明示した五人組帳が全国に整備されるのは、1655年(明暦1)のことであった。江戸時代の農民の統制の制度としては、キリスト教禁止を理由とする宗門人別改(しゅうもんにんべつあらため)制度(寺請(てらうけ)制度)があるが、この五人組の制度は、それと並んで、農民生活をその内部から監視する制度として、それ以上に有効な制度であった。

 太平洋戦争直前に設置された隣組(町内会などの下級団体)の制度も、この五人組、十人組を原型とするものであった。

[上杉允彦]

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改訂新版 世界大百科事典 「五人組」の意味・わかりやすい解説

五人組 (ごにんぐみ)

江戸時代に近隣の5家が1組に編成された連帯責任の組織。この制度は律令国家の五保(ごほ)に淵源する。創置は1597年(慶長2)3月7日付け豊臣秀吉〈御掟〉で京都の治安対策上定められた五人組,十人組である。慶長期以降,大名領などに十人組が存在し,のち五人組に改組される事例がみられる。全国的に五人組が制度化されるのは寛永期で,これは幕藩権力による人民の支配体制確立と関係がある。五人組の役割は,町方・村方における治安維持,法度の遵守,年貢完納,キリシタン禁制などを連帯責任で遂行するところにある。編成は村方では本百姓・水呑百姓とも,町方では地主・家主を対象とし,組合せは最寄りの5軒ずつを原則とするが,5軒以外の場合もあり,組替えもみられる。組の長に五人組頭が置かれているが,別に村政を担当する組頭(年寄)が存在する。五人組の機能はその後,組合員の訴訟・家督相続・質地流地の請人など相互扶助的な役割をあわせもつようになった。五人組制度は明治維新後も存続したところもあり,太平洋戦争中設けられた隣組は五人組を参考としたものである。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「五人組」の意味・わかりやすい解説

五人組
ごにんぐみ

江戸時代の庶民の隣保組織。類似の制度は律令制下の五保の制にさかのぼるが,原型は,戦国時代,下級武士団の軍事編成である五人組,十人組にある。庶民の組織としては,当初城下町町人で編成されたが,江戸時代になると正保年間 (1644~48) 頃から次第に農村を主体とした恒常的な制度となった。編成の基準は村方,町方とも近隣5戸1組を原則とし,その機能は一般にキリシタン,牢人,犯罪人などの治安取締り,とりわけ農村では年貢納入の連帯責任制などであった。また農村では各種のの機能と合体して,相互扶助組織としての機能も果した。宗門改帳とは別に,最寄り5戸を基準として1村の全住民を登録した五人組帳が村ごとに作成されて,領主に提出された。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「五人組」の解説

五人組
ごにんぐみ

江戸時代,町・村において年貢納入・治安維持などの連帯責任を負った単位。5戸前後で構成されたが,組合せ方は近隣5戸ずつの場合が多い。五人組以前に十人組がおかれていた地域もある。五人組が全国的規模で制度化されたのは1633年(寛永10)頃。キリシタン・牢人取締りの強化,農民の土地緊縛が目的で,支配の最末端単位として重要な役割をはたした。村掟にそむいた者には,五人組外しという処罰が行われることもあった。

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旺文社日本史事典 三訂版 「五人組」の解説

五人組
ごにんぐみ

江戸時代,幕府がつくらせた庶民の自治組織
古代の五保の制に原型が認められ,中世以来自治組織として発達してきたものを,江戸幕府が寛永年間(1624〜44)に制度化。キリシタン禁制・牢人取締り・防犯・納税などに連帯責任をもたせた。村方では本百姓,町方では家持・家主を構成員とし,5戸1組を原則とし,その長を五人組頭と呼んだ。五人組帳を作成し,組員の守るべき法令を組員連判して誓約させた。

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世界大百科事典(旧版)内の五人組の言及

【組】より

…したがって,比較的地域差が乏しく,全国的に共通する面が多い。その代表は近世の五人組であり,全国各地において五人組とか単に組合と呼ばれて現在も存在している。また,明治初年に五人組を再編して設定された伍長組,戦時体制下に設けられた隣保班(隣組)も近隣組として機能していることが多い。…

【五人組帳】より

…五人組が遵守すべき法令と五人組員が連署・捺印した帳簿の通称。五人組御改帳,五人組手形,五人組前書帳など多くの別称がある。…

【未進】より

…犯罪などで没収する場合とちがい,年貢の不納・未進の場合は完全に所持権を奪うことはなかった。年貢皆済ということが領主の目標だったから,年貢を不納にして逃散(ちようさん)する百姓や未進のままになっている百姓がでるのを警戒し,捜索を村中の責任でやらせたり,未進分の弁済を村中や五人組に命じたりした。初期には年貢を皆済させるための厳しい法令が多くだされている。…

※「五人組」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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