朝日日本歴史人物事典 「五百木良三」の解説
五百木良三
生年:明治3.12(1870)
明治から昭和にかけての対外硬ジャーナリスト。号は飄亭。松山(愛媛県)の生まれ。最初は医学を学ぶ。明治28(1895)年『日本』に入社。33年近衛篤麿の国民同盟会に参加し,同会の機関誌『東洋』の編集に協力。34年『日本』に復社し,編集長となる。36年対露同志会に参加し,38年日比谷でポーツマス講和条約に反対する国民大会を河野広中らと開く。昭和3(1928)年『日本及日本人』の政教社に入り,社主。5年ロンドン海軍軍縮条約反対運動,10年国体明徴運動に参加した。また俳人として,同郷の正岡子規と交友があった。<参考文献>『日本及日本人』351号(五百木良三追悼号)
(小宮一夫)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報