五郎兵衛新田堰(読み)ごろべえしんでんせぎ

日本歴史地名大系 「五郎兵衛新田堰」の解説

五郎兵衛新田堰
ごろべえしんでんせぎ

市川五郎兵衛の開削した用水路で、五郎兵衛新田及び御馬寄みまよせ村・相浜あいはま村の一部を灌漑する。

上野国南牧砥沢なんもくとざわ(現群馬県甘楽郡南牧村)本拠とする市川氏は、上杉憲政の幕下小幡尾張守信定に属したが、のち武田信玄に仕え、全盛の一時期には信濃国佐久郡下にも都合三千三九〇貫の土地を領有するが、武田氏の滅亡で本拠地砥沢に約五〇名の譜代を抱えて引きこもった。同氏は文禄二年(一五九三)家康からもらった朱印状のなかの一条「分国中、山金、川金、芝間共可掘之事」(「市川家中興家譜」市川育英氏蔵)を拠りどころに、砥沢で砥石山を経営したが、五郎兵衛の代、寛永三年(一六二六)一二月に小諸こもろ城主松平忠憲の許しを得て(柳沢文書)矢島原やしまがはらの開発にとりかかった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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