井ノ口(読み)いのくち

日本歴史地名大系 「井ノ口」の解説

井ノ口
いのくち

室町時代から戦国時代にかけてみえる厚見あつみ郡内の地名。井口・井之口とも書く。長良川左岸、金華きんか山の西麓一帯の平坦地をさす。岐阜の旧名近世に成立した「土岐累代記」に、往古「岐阜ヲ今泉忠節井ノ口宗田ト云シヲ」とある。承応岐阜町絵図には、現長良橋付近で長良川本流から分れて南流する井川が描かれている。同川は洪水によってのち長良川の本流となるが、地名は当地が井川のとば口にあたることに由来するのであろう。応永九年(一四〇二)四月五日の足利義満袖判下文(前田家所蔵文書)によれば、進士九郎右衛門尉氏行に「美濃国厚見郡内井口弐分方」が旗指の賞として宛行われた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の井ノ口の言及

【岐阜[市]】より

…中心市街地は濃尾平野北部,長良川の扇状地の扇頂部に位置し,戦国時代斎藤道三が金華山(稲葉山)に城を築き,その城下町から発達した。1567年(永禄10)織田信長が斎藤氏を亡ぼして入城し,それまで井ノ口と称していた町を岐阜と改め,職人,商人を集めて城下町を繁栄させた。織田氏が亡びて城は中山道宿場の加納に移され,江戸時代の岐阜は尾張藩領の町人の町として再出発し,また谷口集落として長良川の舟運による物資の集散地の機能を果たした。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」