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明治・大正時代の仏教哲学者、教育家。安政(あんせい)5年2月4日、越後(えちご)国(新潟県)三島(さんとう)郡浦村(現、長岡市)の浄土真宗大谷派慈光寺に生まれる。幼名は岸丸、のちに襲常(しゅうじょう)、得度して円了と改名した。号は甫水(ほすい)。石黒忠悳(いしぐろただのり)より漢籍を学び、長岡洋学校、東本願寺教師学校、東京大学哲学科を卒業後、キリスト教や欧化的風潮、仏教僧侶(そうりょ)の腐敗に対して、『真理金針(しんりこんしん)』(1886)、『仏教活論(序論)』(1887)を著して警醒(けいせい)に努めた。また哲学会、国家学会を組織、1887年(明治20)には哲学館(後の東洋大学)を創立した。また東京・中野に哲学堂を建て、釈迦(しゃか)、孔子、ソクラテス、カントの四聖を祀(まつ)った。晩年は迷信否定のため『妖怪学講義録(ようかいがくこうぎろく)』を著し、世に妖怪博士と称された。『仏教活論』の主張は、倶舎(くしゃ)の哲学は唯物論に、法相(ほっそう)の阿頼耶識(あらやしき)はカントやフィヒテの絶対主観に合致し、これらを統一したものが天台の中道(ちゅうどう)思想であること、大乗思想は西洋の最大幸福説と同一に帰するとすることなどで、キリスト教に対して仏教の優位を説き、明治仏教界に多大の影響を与え、仏教復興の端緒となった。大正8年6月5日、中国旅行中、遼寧(りょうねい)省大連(だいれん)で客死した。
[金田諦応 2017年5月19日]
(恩田彰)
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1858.2.4~1919.6.6
明治・大正期の仏教哲学者。越後国の真宗大谷派の寺に生まれる。東大卒。在学中に哲学会を組織し,1887年(明治20)「哲学会雑誌」を創刊。湯島に哲学館(現,東洋大学)を創立し,政教社創設にも関与した。仏教に哲学的基礎を与えようとした「真理金針」3編は,キリスト教批判において国粋的だったが,その方法は西洋哲学の原理にもとづいていた。迷信打破に熱心で怪異を合理的に論じ妖怪博士の異名をとった。
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… 日本でも古くから心霊現象の存在が報告されてきたが,江戸末期の国学者平田篤胤らの客観的な記述による調査研究(例えば《仙境異聞》《勝五郎再生記聞》)はあったものの,科学的な研究が開始されたのは明治期以降である。1884年,東京帝国大学の井上円了は,文明開化の風潮の中で,妖怪学の研究に着手,86年には同大学に〈不思議研究会〉を開設した。迷信の打破を目的とし,心霊現象自体の研究をめざすものではなかったが,科学的な調査を行ったという点で評価に値する。…
…東京都文京区白山に本部をおく私立大学。1887年哲学者井上円了が,東京本郷の麟祥院内に開設した私立哲学館を起源とする。井上は同館の設立を,学問の中心たる哲学が帝国大学の専修になっている実状を打開し,晩学で速成を求める者,資力乏しい者,外国語原書の読めない者などに哲学修得の道を開くためであるとした(〈哲学館開設の趣旨〉)。…
…政教社発行の雑誌。東京大学出身の三宅雪嶺,井上円了らと札幌農学校出身の志賀重昂,今外三郎らの若手知識人によって1888年4月創刊された。その主張は,藩閥政府の推進する欧化政策に反対し,〈国粋〉を〈保存〉しようとするナショナリズムにあった。…
※「井上円了」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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