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銀行家、政治家。明治2年3月25日日田県(大分県日田市)に生まれる。帝国大学法科大学卒業後、日本銀行に入る。営業局長、ニューヨーク代理店監督役などを経て、横浜正金銀行常務副頭取、ついで頭取、1919年(大正8)から日本銀行総裁。関東大震災直後、経済救済のため第二次山本権兵衛(やまもとごんべえ)内閣の蔵相となり在任4か月で辞任。のち貴族院議員に勅選され、在野で財界の世話役を務めたが、1927年(昭和2)金融恐慌後の財界救済のため、再度日銀総裁に就任。
1929年浜口雄幸(はまぐちおさち)内閣が成立すると、民政党の経済政策の要(かなめ)である金解禁を実施するため、首相に請われて蔵相に就任し、民政党に入党した。井上は緊縮財政とデフレーション政策を推し進め、金解禁の準備を整え、翌年1月、金本位制復帰を実現した。しかし、世界恐慌の深刻化と井上財政のデフレ政策が重なって、日本は大不況にみまわれ(昭和恐慌)、輸出は振るわず、金は流出し、日本経済は破綻(はたん)に瀕(ひん)した。大正以来財界のトップを歩んだ自信家の井上は、円を買い支え、金本位制維持に努めたが、1931年12月政変で井上が下野すると、日本の金本位制は終焉(しゅうえん)した。翌昭和7年2月9日、民政党総務として選挙運動中、右翼テロリスト血盟団員の小沼正(おぬましょう)に狙撃(そげき)されて没した。
[大森とく子]
『中村政則著『昭和の歴史2 昭和の恐慌』(1982・小学館)』▽『高橋義夫著『覚悟の経済政策──昭和恐慌 蔵相井上準之助の闘い』(1999・ダイヤモンド社)』▽『中村隆英著『昭和恐慌と経済政策』(日経新書)』▽『長幸男著『昭和恐慌』(岩波新書)』
(中村隆英)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
財政家,政治家。大分県出身。東大英法科卒業。1896年日本銀行に入行。1913年横浜正金銀行頭取,19年日本銀行総裁となり第1次大戦中の国際金融および戦後不況期の財界救済にあたる。23年第2次山本権兵衛内閣の蔵相となり関東大震災後の経済界の復興策を行う。27年の金融恐慌時には再び日銀総裁となり,29年民政党浜口雄幸内閣では蔵相となって30年1月金解禁を断行。しかしこのための緊縮政策とおりからの世界恐慌のため経済は大混乱に陥り,ドル買事件もおこり,政策は破綻した。32年血盟団員小沼正に暗殺された(血盟団事件)。その財政政策は世界恐慌で失敗はしたものの,〈井上財政〉と呼ばれ,一時期を画した。
執筆者:坂本 雅子
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1869.3.25~1932.2.9
大正・昭和前期の財政家。大分県出身。東大卒。1896年(明治29)日本銀行に入行し,大阪支店長・営業局長・ニューヨーク代理店監督役歴任後,1911年横浜正金銀行に入行,13年(大正2)同行頭取。19年日本銀行総裁に就任した。第1次大戦期の国際金融,戦後の金融政策を担当。23年山本内閣の蔵相に就任。24年1月辞職とともに貴族院議員となり,「財界世話役」として活躍。29年(昭和4)浜口内閣で蔵相,31年若槻内閣でも蔵相を務め井上財政を展開。しかし,旧平価による金解禁は世界恐慌と重なったため,大量の正貨流出などを招き失敗に終わる。32年2月血盟団員に狙撃されて死亡。
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…1930年,小学校訓導古内栄司らの勧誘により日蓮宗信者となり,井上日召の影響をうけて,政財界要人の暗殺により〈国家改造〉の“捨石”たらんとする〈血盟団〉に参加。1932年2月9日,井上準之助前蔵相を拳銃で殺害(血盟団事件)。無期懲役に処されたが,40年仮出所。…
…津島は欧米の金融界と接触するなかで,新平価による金解禁案を構想して帰国の途についたが,田中内閣は張作霖爆殺事件で倒れ,29年7月に民政党の浜口雄幸内閣が登場した。 浜口内閣の井上準之助蔵相は,厳しい財政緊縮方針を実行に移し,在外正貨の充実,クレジット契約締結と準備を進め,1929年11月に翌年1月11日より金輸出を解禁する旨の大蔵省令を公布した。旧平価による金解禁であった。…
…それ以来,金解禁は12年間にわたり10人の大蔵大臣が取り組んできて果たせなかった難事業であった。浜口内閣の蔵相井上準之助は,緊縮財政,在外正貨の補充,合理化の推進,消費節約と貯蓄奨励など一連のデフレ政策を採用して,金解禁にそなえた。そして井上は〈暗黒の木曜日〉のニューヨーク株式取引所の株価暴落を,大恐慌のはじまりとは思わず,むしろ円相場の上昇を金解禁の好機と錯覚したのである。…
…活動の内容は定期的に国際会議を開催して,各国の代表者による討論を行うこと,および太平洋関係諸問題に関する学術的調査研究であった。日本支部の創立は1926年,日米関係に強い関心を抱く財界有力者や自由主義的知識人の支持と参加を得て設立され,井上準之助や新渡戸稲造が理事長を務めた。日本の中国侵略とそれに伴うアメリカ,イギリスとの緊張激化により,国内の活動は衰え,38年以後は事実上同会を脱退するにいたり,第2次大戦後1950年に復帰した。…
※「井上準之助」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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