…江戸末期の大老,彦根藩主。掃部頭(かもんのかみ)と称した。1850年(嘉永3),長兄直亮の死により13代彦根藩主となった。この時期の幕政の重要問題は,開国の可否と将軍継嗣問題とであった。直弼は鎖国の維持を望んでいたが,外国と戦って鎖国を守りぬくことが不可能である以上,当面は開国せざるをえないという立場に立った。53年(嘉永6)にペリーが来航した直後に,幕府の諮問にこたえて,積極的に商船を海外に派遣し国威を示すことが皇国の安泰の道であるという意見書を出し,58年(安政5)1月,老中堀田正睦(まさよし)に日米修好通商条約の調印はやむをえないという意向を伝えたのも,そのためであった。…
※「井伊掃部頭」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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