交換という概念は非常に広義の意味で扱われ、厳密な定義を行うことはきわめて困難である。いちおうの定義を試みれば、交換とは、二つの集団もしくは個人の間でなんらかの義務が満たされる社会的過程である。この交換という概念は、文化人類学においては、人間活動のあらゆる側面に適用されているので、その結果、交換の対象として扱われるものには、財や用役といったものから、婚姻に伴う婚資や女性、会話におけることば、人が出会ったときに交わされる視線や挨拶(あいさつ)など、非常に広範囲にわたっている。
従来、交換という行為は、なんらかの経済的有用性に基づいて行われるものであるという考え方が支配的であった。しかし、文化人類学において、さまざまな社会における交換を記述し分析することによって、交換はかならずしも経済的有用性に基づくものでなく、交換による社会的地位の獲得や安定、集団間の結び付きの強化といった社会的側面に注目しなければならないという視点が導入された。その後、交換の社会的・政治的側面の研究は着実に進展しており、現在では、宗教的側面、観念的側面などを含めた、交換のあらゆる側面を考慮に入れて、交換の問題の本質を追究する必要性が強調されている。交換という行為があらゆる社会に観察され、社会の成員にとってはきわめて自然な行為とみなされており、しばしば交換が社会の中心的主題となっている。一例をあげるならば、封建制度を、主君による土地などの恩給と家士の主君に対する忠誠が交換される制度と考えることができる。このような事実を考えてみれば、交換とは単なる経済的な問題ではなく、人間とその社会にとってより根元的な意味をもった問題であるという観点が出てくるのは、いわば自然の成り行きとでもいえる。
[栗田博之]
交換という社会的過程の基盤にあるのは互酬性reciprocityの原理である。何かが交換される場合には、かならずその交換を成立させる社会的規範が存在している。そして、交換を交換たらしめている社会的規範のもっとも根元的かつ普遍的なものが、相互的な行為を義務づける原理、具体的にいえば「ギブ・アンド・テイク=相互になんらかを与え合い、なんらかを得合う」という原理、すなわち互酬性の原理なのである。したがって現在の文化人類学においては、交換という社会過程と互酬性の原理は、多くの場合ひとまとめにして扱われる。
[栗田博之]
諸民族の間での交換に関する研究において先駆的な役割を果たしたのはB・マリノフスキーである。彼はその著書『西太平洋の遠洋航海者』のなかで、メラネシアのトロブリアンド島民の間でクラkulaとよばれている交換を扱った。クラは、循環する交易線上で、腕輪と首飾りが互いに逆方向に交換されていく儀礼的交換である。クラに参加する者は特定の交換相手をもっており、特定の方角に住む交換相手と、腕輪と首飾りの交換を行わなければならない。つねに腕輪は首飾りと、首飾りは腕輪と交換しなければならないので、自分の受け取った腕輪や首飾りは、次の適切な交換相手に与えなければならず、またクラ交換を続けて行うためには、受け取った腕輪や首飾りを長期間保持することはできない。クラ交換に成功した者は自らの社会的威信を高めることができるが、貴重品である腕輪や首飾りの交換によって、直接的な物質的利益を得ることはできないのである。マリノフスキーは、このクラ交換を含めたトロブリアンド島民のさまざまな権利・義務関係を抽出し、島民の社会組織はいわばこの権利・義務関係の束であるということを示した。そして、クラ交換とは、結局のところ集団間の結び付きを強化するものであるということが明らかにされた。以上のマリノフスキーの研究によって、交換を経済的有用性の観点からみるのではなく、社会関係の基盤となるものとしてみるという観点が導入された。
[栗田博之]
このマリノフスキーの先駆的研究を受けて、交換や互酬性の問題に初めて体系的に取り組んだのはM・モースである。モースはその著書『贈与論』において、世界各地にみられる交換の諸形態を比較した。その結果、交換においては個人ばかりでなく集団全体が関与しており、交換はあたかも任意的なものであるかのように互酬的な贈り物という形をとって行われるが、実際のところ、それは厳密な意味では義務的なものであるということをみいだした。そして交換の体系を「全体的給付組織」とよび、それがさまざまな社会的現象を統合する組織であるとした。モースがとくに注目したのは、北アメリカ北西部太平洋沿岸の先住民の間でみられるポトラッチpotlatchという儀礼的交換である。ポトラッチでは、社会的地位を高めるために威信をかけて財の競争的贈与が行われる。さまざまな儀礼的機会に饗宴(きょうえん)が催され、その場で主人の側は客の側に、義務として多大な量の貴重な財を、ときには全財産を贈与する。客の側はこの贈与を受け、自らの負った負債に対する返礼を行う義務がある。ときには、贈与により相手に負債を負わせるのでなく、自らの財を破壊することにより、相手にも同様な破壊を要求するという形で負債を負わせることも行われる。客の側がこの負債に対する返礼の義務を果たせない場合には、競争相手に辱められ、社会的威信を失ってしまう。ポトラッチのもっとも重要な側面は、それが相手に負債を与えることによる競争的行為、あるいは戦争的行為であるということである。このような見方をしなければ、自らの財を破壊するという行為は説明できないであろう。このような点にモースは着目し、ポトラッチという競争的交換を成立させている贈与と返礼の義務自体の分析に論を進めた。
モースは、交換に関して、あらゆる社会に、与える義務、受け取る義務、返礼する義務の三つの義務が存在することを示した。このなかでもモースはとくに返礼の義務に注目し、贈り物に対してなぜ返礼しなければならないか、どのような力が働いて贈り物を受け取った者が返礼を余儀なくされるのかという設問をたて、それに対し、マオリ人の例を引いて答えた。贈り物には贈与した者のなんらかの力が含まれており、その力が贈り物とともに受け取った者に移行し、それが返礼を強いる力となるとしたのである。現在、このような説明は原地人の考え方の一つにすぎないと退けられているが、これにかわる説明が成功しているわけではない。このモースの設問は、交換や互酬性といった問題を考えるうえで究極的に答えられなければならない設問であるといえる。
[栗田博之]
モースによって開かれた究極の問題への視点を高く評価しながらも批判的に受け継いだのが、レビ・ストロースである。彼は、経済的な有用性が贈与交換の本質的な目的ではないとし、交換を全体的現象として扱うべきであり、食物や製品、そして女性を含めた全体的交換に着目しなければならないとした。そして、この立場に基づき、その著書『親族の基本構造』のなかで婚姻規制の体系の分析を行った。彼は、近親婚の禁止と外婚制とは同一の互酬性の規則であり、婚姻規制の体系は交換の体系であるとした。そして、世界各地のいとこ婚という婚姻規則に注目し、交換の基本体系として、集団Aは集団Bに配偶者となる女性を求め、BはAに女性を求めるという「限定交換体系」と、集団Aは集団Bに配偶者となる女性を求め、Bは集団Cに女性を求め、CはAに女性を求めるという「一般交換体系」を抽出した。レビ・ストロースによれば、婚姻規制における交換の体系は、人類に普遍的な精神構造を成り立たせている三つの心理的構造原理、すなわち、規則の正当性を認める原理、互酬性の概念、贈与の個人個人を結び付ける性質の三つの原理から説明される。つまり、交換や互酬性は精神構造の問題であるとレビ・ストロースは主張するのである。しかし、彼が詳細な分析を行ったのは、女性の交換あるいは婚姻体系に関してであって、ほかのさまざまな文脈からみた交換の問題は扱っていない。また、交換を普遍的な心理的構造の問題に帰してしまうだけでは、問題が十分に解明されたとはいえないとも思われる。なお、これらの諸研究以外に、交換ないし互酬に関する研究では、M・サーリンズの財の交換に関する分類や、J・グッディによる互酬関係を人間と祖霊などの超自然的存在の間に認める研究などが注目される。さらに今日の文化人類学においては、交換の象徴的側面に関する研究が進んでおり、交換や互酬性の各民族における意味ということが問題にされるようになっている。また、レビ・ストロースが最後に言及した女性の交換が言語を含めたコミュニケーション機能の態様の一つであるという観点をさらに拡大して、交換や互酬性を人間のコミュニケーションとして考えることにより、新しい視野が広がる可能性がある。
[栗田博之]
以上のような研究の流れとは別に、交換の経済的側面を研究してきた経済人類学の流れが、K・ポランニー以降続いている。ポランニーは、市場経済の分析から出発した経済学の方法論を、非市場社会に適用することに疑問を提起し、独自の非市場社会に対する分析方法を確立した。そして、暗黙のうちに市場経済をすべての前提としている従来の経済学自体に異議を申し立てたのである。ポランニーによれば、社会を統合する基本的経済行為には三つの様式があり、それは互酬性、再分配、交換であるとした。この用法では、交換は市場の存在を条件としており、互酬性は国家のレベル以下での相互依存といった意味で用いられているので、これまで述べてきた交換や互酬性の原理の概念とはかなり異なったものであることに注意する必要がある。
[栗田博之]
経済学における交換は、自分が必要以上に所有している財や、初めから自分の使用目的ではなく他人の使用に供する目的で生産した財やサービスを、他人が提供する財やサービスと等価で取り替えることをいう。等価を原則とする点で、無償の財の移転である贈与や略奪などとは区別される。
交換の歴史は、原始的な共同体間の偶然的で1回限りの物々交換に始まる。生産力が高まり、私有財産と社会的分業が発生し、余剰生産物が恒常的に存在するようになると、それが特定の場所で定期的に交換されるようになった。交換が経常的になるにつれて、交換の形態が物と物との直接的交換から、貨幣を媒介とする間接的交換へと変わってきた。さらに生産力が発達し、市場が拡大するのに伴って社会的分業の範囲が拡大され、余剰生産物の交換だけではなく、初めから貨幣との交換による利潤獲得を目的とした商品生産が発達してきたのである。あらゆる財が自己の使用目的ではなく利潤獲得を目的として生産される資本主義は、最高度に発達した商品生産社会である。したがって、資本主義を対象とする経済学においては、商品交換の根底にある財の等価性の根拠をどこに求めるかによって、その理論の性格が本質的に異なるものとならざるをえないのである。等価性の根拠を投下労働量に求める古典派やマルクスの経済学と、財から得られる限界効用に根拠を求める近代経済学とでは、利潤や地代の成立の根拠がまったく異なって理解されている。それが資本主義社会全体の評価の根本的相違となっていることに、理論の性格の相違の典型的な現れをみることができる。
[佐々木秀太]
民法上、当事者が互いに金銭の所有権以外の財産権を移転することを約することによって成立する、諾成・双務・有償・不要式の債権契約(586条1項)。たとえば、自動車の所有権と宝石の所有権を交換するなどがそれである。交換は、貨幣経済未発達の社会では重要な役割を果たしたであろうが、それが十分に発達した今日では、それほど重要な役割を果たしていない。したがって民法の規定もわずか1か条と簡単である。すなわち、民法は、交換の成立についての規定(586条1項)を置いたのち、補足金付き交換における金銭については、売買の代金に関する規定が準用されるものとしている(586条2項)。このほか、交換の効力については、売買の売り主に関する規定、ことに売り主の担保責任に関する規定が準用される(559条)。
[淡路剛久]
『B・マリノフスキー著、寺田和夫・増田義郎訳「西太平洋の遠洋航海者」(『世界の名著59』所収・1967・中央公論社)』▽『M・モース著、有地亨・山口俊夫他訳「贈与論」(『社会学と人類学Ⅰ』所収・1973・弘文堂)』▽『レヴィ・ストロース著、馬淵東一・田島節夫監訳『親族の基本構造』上下(1977・番町書房)』▽『K・ポラニー著、吉沢英成・野口建彦訳『大転換――市場社会の形成と崩壊』(1975・東洋経済新報社)』
日常的な用法では交換exchangeとは〈もののやりとり〉を意味しており,ある個人または集団が他の個人または集団になんらかのものを与え,それと引換えに他の個人または集団から別のなんらかのものを受け取るとき,交換が行われたという。そのさい最も広く考えれば,レビ・ストロース(《親族の基本構造》)が女性の交換としての婚姻形態を研究するなかで区別した〈限定交換〉,すなわち授受の相手が同一で,AがBに与え,BがAに与えるという形だけではなく,授受の相手が異なり,AがBに,BがCに,CがAにそれぞれ与えるというような形,つまり彼のいう〈一般交換〉をも交換に含めることができる。さらにまた,やりとりされる〈もの〉の範囲も物的対象,いわゆる財貨・サービス(以下財と略称)のみならず,後述の〈社会的交換〉にみるように権力や愛など非物的ないし精神的な対象にまで拡張しうる。
経済学では論者によって程度の差はあるが,交換ということばをもっと限定した意味に用いており,少なくとも交換対象は生活資料ないし財に限られるのがふつうである。財の交換の歴史的な起源は定かにはいいがたいが,たとえば前5世紀のヘロドトス《歴史》にカルタゴ人の商品とリビア人の黄金が双方の直接的接触,口頭での交渉なしに交換される様子が描かれている。このような交換はのちに〈沈黙交易〉として世界各地にその例が見いだされ,集団間の交換(交易)の原初的形態とも考えられてきた。個々の史実とは別に,そもそも交換の発端をどのようなものとみるかについては大きくわけて二つの立場がある。ひとつは上記のような集団間の交換に着目し,交換は人間の集団(共同体あるいは種族)が他の集団と関係をとり結ぶとき,利己心あるいは経済計算に導かれてつくりあげる関係の一様式であるととらえる。この立場を代表するのはM.ウェーバーであり,表現は異なるがK.マルクスが商品の交換過程を論じるさいに示している理解も同趣旨のものである(《資本論》1編2章)。いまひとつの立場はA.スミスによって代表される。彼は分業の発生に関して,それは人間の本性のなかにあり,そして人間だけに見いだされる交換性向,すなわちある物を他の物と取引し,交易し,交換するという性向が,利己心に刺激されてひきおこすところの必然的帰結であると説く(《国富論》1編2章)。つまりスミスにおいては交換の端緒は集団よりもまず個々の人間の本性に求められているのである。
二つの立場を比較するとき,集団と個人のいずれに着目するかの違いとともに,交換と利己心ないし経済計算を一体とみるか(ウェーバー,マルクス),切り離してみるか(スミス)の違いもまた重要である。前者は交換の動機を経済的なものに限定するのに対して,後者は他の動機にも余地を残している。人類学的な見地からは,たとえばB.マリノフスキーの研究(《西太平洋の遠洋航海者》)で有名な〈クラ交易〉がそうであるように,ひとつの交換制度に経済的動機と並んで,あるいはそれ以上に,宗教的,道徳的,政治的などの動機が結びついているのがむしろ交換本来の姿であると考えられる。すなわちクラ交易の場合,点在する島々のあいだで二つの特殊な品物(赤い貝の首飾と白い貝の腕輪)が環状に互いに逆方向につぎつぎと交換されて回っていく。そしてこの儀礼的な交換に合わせて各島の住民が必要とする日用品の交換やその他の関連活動が規則的に行われる。これら諸活動は多数の部族を結びつけるひとつの全体的な制度,あるいはM.モースのいう〈全体的給付組織〉を形づくっているのである。これに対して経済的動機のみにもとづく交換は,市場や貨幣の制度が発達した社会においてはじめて広まった特種な交換とみることができる。K.ポランニーによればこの意味での交換(市場交換)は,互酬(贈与),再分配(貢租とその分配),家政(自給自足)と並ぶ人間の生活資料調達法のひとつであったが,19世紀の市場(貨幣)経済体制のもとで特異な発達をとげ,経済の領域だけでなく社会全体をその網の目に絡み込む勢いであったという(《大転換》)。
市場経済を対象とする経済学の理論的分析では当然のことながら経済的動機以外の交換動機は初めから視野の外におかれる。そこでは交換される〈もの〉が生活資料としての財であるという先に述べた点に加え,交換当事者は財の売手・買手として匿名的・非人格的に現れ,かつ交換が釣合いのとれたものであるかどうかの判定は経済外的要因とは独立に財の価値それ自体によってなされる。そのさい〈労働価値説〉の立場からは,財の交換比率はそれぞれの財の生産に必要な労働量を等しくするところに決まり,たとえば砂糖1kgの生産と塩3kgの生産が必要労働量において等しければ,砂糖1kg=塩3kgという比率になるとされる。一方,〈主観価値説〉ないし〈限界効用理論〉に従えば,A・B2財のそれぞれ一定量を所有している2人のあいだで交換が行われたとして,彼らが2財から得られる満足(効用)の合計を最大にすべく行動しているかぎり交換後の両財の最終単位のもつ効用=限界効用の比率(A財の限界効用/B財の限界効用)は2人のあいだで等しくなければならず,交換比率は,この条件をみたす範囲で2人の力関係,駆引きなどに依存しつつ決定される。いずれの価値説による理論であれ,これら2財交換のケースを端緒として,そのあと貨幣の出現,資本と剰余価値の発生,あるいは需要と供給の導出(消費者均衡と生産者均衡),価格の形成などが論じられ,結局経済学でとりあげられる問題のほとんどが直接・間接に交換現象に結びつくことになる。
→価値 →経済人類学 →交易
執筆者:春日 淳一
自動車と家具とを取り替えるというように,当事者の一方が相手方に対してある財産権を移転することを約束し,相手方がこれに対して金銭以外の財産権を移転することを内容とする契約をいう。有償・双務契約であり,民法では売買,賃貸借などと並んで典型契約の一つとして規定されている(民法586条)。財産権の内容は金銭以外のものであればとくに制限はなく,物権でも債権でもよいが,多くの場合は物の所有権である。財産権の移転に対して金銭以外の財産権の移転が約束される点で売買と区別されるにすぎない。このため,財産権の内容に欠陥があった場合,その他の交換に伴う種々の法律問題に関しては,民法はもっぱら売買の規定を準用し(559条),交換に関しては前記の1ヵ条を設けているにすぎない。歴史的には重要な役割を果たした契約類型ではあるが,貨幣経済・資本主義の発展によってその社会的意義を著しく減殺した。
執筆者:栗田 哲男
人間の日常生活のいたるところにみられる交換現象は物財の売買や取引契約のような経済的交換に限定されない。日本に古くから存在する〈報い〉〈恩〉といった考え方や,農村の〈ゆい〉〈もやい〉〈すけ〉と呼ばれる労働力の交換,貸借などの慣行をはじめ,中元,歳暮,クリスマス・プレゼントなどの贈答交換にも一般的にみられる。このような現象を社会的交換social exchangeと呼ぶ。社会的交換という発想自体は古くは社会学者G.ジンメルの心的相互作用説や,利益に報いたり感謝する義務を説いたE.A.ウェスターマークの社会倫理学説にまでさかのぼるが,現代アメリカの社会学者ホーマンズG.C.HomansやブラウP.M.Blauらによって理論的体系化がなされたとみるのが一般的である。
社会的交換とは価値あるものの相互的授受の過程であるが,その根底には基本的原理ともいうべきメカニズムが働いている。すなわち,行為者Aが行為者Bに対して報酬となる財や資源を提供すれば,BにはAに対して返報する義務が生じ,その義務を履行しなければならない。これは互酬性(互恵性)の原理として知られる。たとえば,困っているとき援助を受けたBは,後日なんらかの形でAに返報しなければならず,それを怠るなら恩知らずと悪口を言われても仕方がないのである。経済的交換の場合には,事前の合意や契約に従い等価の財を返済するが,社会的交換では返報についての取決めや合意がないから,返報する側の気持ちや態度が相手方にどう伝わるかが重要なことである。したがって,返報する場合も,相手の好意に十分報いようと欲すれば,即座のお返しは避け,しかるべき時期を選んで返報しようとする。即座のお返しは相手方の好意を負担に感じている証拠ととられるが,ある期間を経てからの返報は,相手に対する負担を喜んで受けいれることを意味するからである。結局,信頼と信用に裏づけられた長期間の交換の繰返しが安定した対人関係を維持することを可能とするのである。社会的交換の特徴は,経済的交換の対象となる財が物財や貨幣などに限定されるのに対して,非常に広範囲のものを含むところにある。労働力やサービスはもちろんのこと,関係財とか行為財と呼ばれる愛情,好意,謝意,尊敬,社会的評価,権力,服従,譲歩などの無形の財があげられる。レビ・ストロースは財(貨幣),記号(情報),女性の交換(コミュニケーション)によって全体社会が維持されることを理論化し,社会(集団)の維持・存続のために交換(財の流通)が行われ,交換そのものが不可視の深層構造によって拘束されているとした(構造主義的交換論)。それに対して,ホーマンズは,他者との交換によって欲求充足が図られるとする(欲求交換論)。
→贈物 →互酬
執筆者:小坂 勝昭
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
…レビ・ストロースは,母方交叉イトコ,および父方,母方双方をたどる双方交叉イトコとの婚姻が規則的に行われると,女性のやりとりを通じての集団間の連帯が超世代的に成立することに注目した。つまり図1のように双方交叉イトコ婚を行う場合には,2集団間でヨメを交換する関係が成立する。このタイプでは,社会に最低2個の出自集団があればシステムとして存続可能な最も単純な形態である。…
※「交換」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新