デジタル大辞泉
「京極」の意味・読み・例文・類語
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きょう‐ごく キャウ‥【京極】
[1] 〘名〙 平城京、平安京など、
都城の
東西南北の最端。そこには、東京極大路、西京極大路、南京極大路(九条大路)、北京極大路(一条大路)がそれぞれ通じていた。きょうはて。
京終(きょうはて)。
[2]
[一] 平安京において、
東西の両京極大路の
略称。特に、東京極大路(今の
寺町通)をいうことが多い。京極の称は、今日、それぞれの
沿路の一部に「
京極学区」「西京極」など地域名として残る。
※
徒然草(1331頃)一三九「京極の屋の南むきに、今も二本侍るめり」
[二] 京都
市中京区の新京極通の通称。また、新京極の
繁華になぞらえて、
繁華街の俗称とすることもある。「西陣京極」など。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
京極[町] (きょうごく)
北海道南西部,後志(しりべし)支庁虻田郡の町。人口3811(2010)。羊蹄山の北東麓に位置し,東は無意根山などの山嶺線で札幌市と接する。寒冷多雪地として知られるが,1897年旧讃岐丸亀藩主京極高徳が800haの土地の貸付けを受けて小作農場を開いたのが開拓の始めである。1938年京極農場は小作人に開放され,40年京極家への謝意を込めて東俱知安村の名を京極村と改めた。農業の中心は,種子用,食用を主とするジャガイモで,品質には定評がある。尻別川とその支流の河岸段丘面には水田も分布し,また酪農などの畜産も行われる。かつて町内にあった俱知安鉱山は北海道一の褐鉄鉱を産出したが,1969年に閉山した。
執筆者:岡本 次郎
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京極
きょうごく
京都市内の地名。かつては京の端を意味した。平安京は,南北に通じる朱雀大路 (現在の千本通) によって右京と左京に分れ,さらに東西南北に走る道路によって区画されていた。この最東端の道路を東京極 (現在の寺町) ,最西端の道路を西京極,最南端を南京極 (現在の九条) ,最北端を北京極 (現在の一条) と呼んだ。初めは右京が栄えたが,のち繁華は左京に移った。この左京の東京極が現在の中京区寺町通で,その東側を三条通から四条通まで南北に通じる通りが新京極と呼ばれ,映画館,劇場,みやげ物店,飲食店などの立並ぶ繁華街となっている。
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京極【きょうごく】
京の端の意で,平安京(現在の京都市)の東西両端に東および西京極大路(おおじ)が南北に通じていた。1590年豊臣秀吉は東京極に市中の寺院を集め寺町とした。現在は寺町の東通りが新京極としてにぎわい,西京極はそのまま右京区西京極として残る。
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