今井正(読み)イマイタダシ

デジタル大辞泉 「今井正」の意味・読み・例文・類語

いまい‐ただし〔いまゐ‐〕【今井正】

[1912~1991]映画監督。一貫して社会的テーマ弱者立場から描いた。作「また逢う日まで」「青い山脈」「ひめゆりの塔」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「今井正」の意味・わかりやすい解説

今井正
いまいただし
(1912―1991)

映画監督。明治45年1月8日、東京生まれ。旧制水戸高校時代より学生左翼運動に打ち込み、1935年(昭和10)、東京帝国大学美学科を中退。同年、京都のJOスタジオに助監督として入社、同社が東宝に合併された後の1939年、『沼津兵学校』で監督デビュー。第二次世界大戦中は、朝鮮の抗日ゲリラの戦いを描いた『望楼の決死隊』(1943)など戦意高揚映画も撮る。戦後は、民主主義啓蒙(けいもう)路線に転向し、財閥の腐敗を糾弾する『民衆の敵』(1946)で高く評価され、石坂洋次郎原作の青春映画『青い山脈』(1949)が大ヒットした。続く『また逢(あ)う日まで』(1950)で高い評価を得る。1950年、東宝争議では組合側に加担したためレッド・パージ(左翼追放)の対象となったのを機に、退社しフリーとなる。1951年の『どっこい生きてる』以後、独立プロ運動の旗手として、精力的に作品を発表。沖縄戦の悲劇を描く『ひめゆりの塔』(1953)を東映で撮り、大ヒットとなる。『にごりえ』(1953)、『ここに泉あり』(1955)、『真昼の暗黒』(1956)、『米』(1957)、『キクとイサム』(1959)などを発表、多くの賞を獲得した。他に『山びこ学校』(1952)、『武士道残酷物語』(1963)、『橋のない川』2部作(1969~1970)などがある。遺作は『戦争と青春』(1991)。平成3年11月22日、死去。享年79歳。

[坂尻昌平]

資料 監督作品一覧

沼津兵学校(1939)
われ等が教官(1939)
多甚古村(1940)
女の街(1940)
閣下(1940)
結婚の生態(1941)
望楼の決死隊(1943)
怒りの海(1944)
愛の誓ひ(1945)
民衆の敵(1946)
人生とんぼ返り(1946)
地下街二十四時間(1947)
青い山脈(1949)
続 青い山脈(1949)
女の顔(1949)
また逢う日まで(1950)
どっこい生きてる(1951)
山びこ学校(1952)
ひめゆりの塔(1953)
にごりえ(1953)
愛すればこそ~第二話「とびこんだ花嫁」[吉村公三郎、山本薩夫とのオムニバス](1955)
ここに泉あり(1955)
由紀子(1955)
真昼の暗黒(1956)
米(1957)
純愛物語(1957)
夜の鼓(1958)
キクとイサム(1959)
白い崖(1960)
あれが港の灯だ(1961)
喜劇 にっぽんのお婆あちゃん(1962)
武士道残酷物語(1963)
越後つついし親不知(1964)
仇討(1964)
砂糖菓子が壊れるとき(1967)
不信のとき(1968)
橋のない川 第一部(1969)
橋のない川 第二部(1970)
天皇の世紀~第4話「地熱」・第5話「大獄」(1971)
婉(えん)という女(1971)
あゝ声なき友(1972)
海軍特別年少兵(1972)
小林多喜二(1974)
あにいもうと(1976)
妖婆(1976)
子育てごっこ(1979)
ゆき(1981)
ひめゆりの塔(1982)
戦争と青春(1991)

『映画の本工房ありす編『今井正「全仕事」――スクリーンのある人生』(1990・ACT、東銀座出版社発売)』『新日本出版社編集部編『今井正の映画人生』(1992・新日本出版社)』『高部鉄也著『燃えつまみれつ――映画監督今井正物語』(2002・文芸社)』『今井正監督を語り継ぐ会編『今井正映画読本』(2012・論創社)』

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20世紀日本人名事典 「今井正」の解説

今井 正
イマイ タダシ

昭和・平成期の映画監督



生年
明治45(1912)年1月8日

没年
平成3(1991)年11月22日

出生地
東京都渋谷区元広尾町

学歴〔年〕
東京帝国大学文学部美学科〔昭和10年〕中退

主な受賞名〔年〕
毎日映画コンクール監督賞(第1 8 11 12回・昭21 28 31 32年度)「民衆の敵」「にごりえ」「真昼の暗黒」「米」「純愛物語」,ブルーリボン賞監督賞(第1 4 7 8回・昭25 28 31 32年度)「また逢う日まで」「にごりえ」「ひめゆりの塔」「真昼の暗黒」「米」「純愛物語」,ブルーリボン賞最優秀作品賞(昭25 28 31 32年度),キネマ旬報賞監督賞(第2 3 5回・昭31 32 34年度)「真昼の暗黒」「米」「キクとイサム」,キネマ旬報ベストテン第1位(昭25 28 31 32 34年度)「また逢う日まで」「にごりえ」「真昼の暗黒」「米」「キクとイサム」,ベルリン国際映画祭監督賞〔昭和33年〕「純愛物語」,ベルリン国際映画祭グランプリ〔昭和38年〕「武士道残酷物語」,モントリオール国際映画祭カトリック同盟プロテスタント映画賞〔平成3年〕「戦争と青春」

経歴
学生運動に打ち込むあまり、東大美学科を1年で中退、映画の世界へ。昭和10年JOスタジオに入社。のち東宝に移って、14年「沼津兵学校」で監督としてデビュー。23年にフリーとなり、独立プロダクションで左翼的な立場に立つ映画を積極的につくり、戦後の独立プロ運動の大きな推進力となった。24年「青い山脈」の大ヒットで頭角を現し、「また逢う日まで」(25年)「にごりえ」「ひめゆりの塔」(28年)「真昼の暗黒」(31年)「米」「純愛物語」(32年)「キクとイサム」(34年)「武士道残酷物語」(38年)「橋のない川」(44年 45年)「あにいもうと」(51年)などの佳作、力作を次々と発表。豊かな詩情と社会正義に燃える人道主義により、幅広い観客層の共感を呼んだ。57年引退宣言をするが、平成3年14年ぶりに映画「戦争と青春」を撮り、一般からの出資を募る“市民プロデューサー方式”でも話題を呼んだ。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

百科事典マイペディア 「今井正」の意味・わかりやすい解説

今井正【いまいただし】

映画監督。東京生れ。東大中退。1939年東宝の監督となる。初期の石坂洋次郎原作の《青い山脈》(1949年),ガラス越しのキス・シーンが話題となった《また逢う日まで》で抒情性とリアリズムの調和を示し,レッドパージ後独立プロを主に活躍。八海事件を扱った《真昼の暗黒》(1956年)をはじめ東京大空襲を背景とした《戦争と青春》(1991年)にいたるまで,一貫して社会問題に取り組んだ。
→関連項目住井すゑ津島恵子東映[株]原節子ベルリン国際映画祭山本薩夫

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「今井正」の意味・わかりやすい解説

今井正
いまいただし

[生]1912.1.8. 東京
[没]1991.11.22. 埼玉
映画監督。東京大学文学部中退後,1935年 JOスタジオ入社。のちに東宝専属となり,39年『沼津兵学校』でデビュー。第2次世界大戦前は『多甚古村』 (1940) ,『閣下』 (40) などを作り,中堅作家の地位を固めた。戦後『民衆の敵』 (46) ,『青い山脈』 (49) ,『また逢う日まで』 (50) が注目されたが,50年新星映画に参加。独立プロによる『どっこい生きている』 (51) ,『山びこ学校』 (52) ,『にごりえ』 (53) ,『真昼の暗黒』 (56) で社会派監督としての地位を確立。その他未解放部落を正面から描いた『橋のない川』 (2部作,69~70) がある。遺作は『戦争と青春』 (91) 。ヒューマニズムを基調とした作風が特徴であった。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「今井正」の解説

今井正 いまい-ただし

1912-1991 昭和-平成時代の映画監督。
明治45年1月8日生まれ。昭和14年東宝の「沼津兵学校」で監督デビュー。戦後「青い山脈」「また逢う日まで」をヒットさせる。25年東宝を退社。以後,独立プロを中心に「どっこい生きてる」「ひめゆりの塔」「ここに泉あり」「真昼の暗黒」「米」などおおくの作品を監督,社会派として知られた。平成3年11月22日死去。79歳。東京出身。東京帝大中退。

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367日誕生日大事典 「今井正」の解説

今井 正 (いまい ただし)

生年月日:1912年1月8日
昭和時代;平成時代の映画監督
1991年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の今井正の言及

【青い山脈】より

…この作の成功により作者は“百万人の作家”への道を開いたともいわれる。【保昌 正夫】
[映画]
 今井正監督が〈健康で明るい青春映画仕立て〉(岩崎昶)で1949年に映画化。〈大胆な〉海水浴シーンにおける新子役の新人杉葉子と,新しい思想の持主である島崎雪子役の原節子の毅然(きぜん)とした美しさが,戦後の〈民主主義映画〉の中でも際だった解放感を与えて大ヒット(配収1億2000万円)。…

【日本映画】より

…そして,戦争に取材した劇映画が輩出し,それらは国策的内容のものから単純な娯楽映画や高度なリアリズムによる作品まで,実に多種多様ながら,戦時日本映画を形づくった。田坂具隆《五人の斥候兵》(1938),《土と兵隊》(1939),《海軍》(1943),熊谷久虎《上海陸戦隊》(1939),今井正《沼津兵学校》(1939),《望楼の決死隊》(1943),吉村公三郎《西住戦車長伝》(1940),阿部豊《燃ゆる大空》(1940),《あの旗を撃て》(1944),山本嘉次郎《ハワイ・マレー沖海戦》(1942),《加藤隼戦闘隊》(1943),マキノ正博《阿片戦争》(1943),木下恵介《陸軍》(1944)などである。また,満映と東宝の提携作品《白蘭の歌》(1939。…

※「今井正」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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