改訂新版 世界大百科事典 「他戸親王」の意味・わかりやすい解説
他戸親王 (おさべしんのう)
生没年:?-775(宝亀6)
光仁天皇の皇子。母は皇后で聖武天皇の皇女井上(いかみ)内親王。生年は761年(天平宝字5)と751年(天平勝宝3)の2説がある。771年(宝亀2)皇太子に立てられたが,翌年3月裳咋(もくい)足島の自首により井上内親王が巫蠱(ふこ)大逆の罪で廃されたのに連座し,5月皇太子を廃し庶人とされた。皇太子のとき暴逆で,山部親王(後の桓武天皇)と悪く,山部親王に忠実な槻本老を母子ともに切責したが,老に姧状をあばかれ,廃太子に至ったという。773年10月の光仁天皇の同母姉難波内親王の死も井上内親王の厭魅(えんみ)によるとされ,同月母子ともに大和国宇智郡の没官の宅に幽閉されたが,775年4月母子とも同日に没した。山部親王を推す藤原百川一派の策謀により,廃され毒殺されたとの説が有力。779年6月周防国の周防凡直葦原の賤であった男公が,他戸皇子と称し百姓を狂惑した罪で伊豆国に流されたという余波がある。
執筆者:水野 柳太郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報