仲宗根豊見親(読み)なかそねとゆみや

日本大百科全書(ニッポニカ) 「仲宗根豊見親」の意味・わかりやすい解説

仲宗根豊見親
なかそねとゆみや

生没年不詳。沖縄の宮古(みやこ)島の首長。豊見親は首長の尊称。空広(そらびー)ともよばれ、後世「玄雅(げんが)」の字(あざな)が贈られた。15世紀中ごろの生まれ、16世紀中ごろの没と伝わるが、経歴はほとんど不明である。15世紀末期ごろに宮古島覇者となり、やがて首里(しゅり)の王権臣従して地位安堵(あんど)されたという。八重山(やえやま)にアカハチ・ホンガワラの乱(1500)が起こると国王軍に加勢して勲功をあげ、宮古の初代の頭(かしら)に任じられた。その子孫は後世忠導(ちゅうどう)氏とよばれ、代々頭職に就任し、宮古島きっての勢家となった。

[高良倉吉]

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朝日日本歴史人物事典 「仲宗根豊見親」の解説

仲宗根豊見親

生年:生没年不詳
中世琉球の宮古地方の首長。豊見親を祖とする忠導氏の系図によると明暦の天順年間(1457~64)の生まれ,16世紀初期没と伝わる。宮古地方の覇者であったが,尚真王の地域支配の前に屈伏した。尚真24(1500)年に八重山地方で起こった遠弥計赤蜂の乱では国王軍の先鋒として戦功を挙げ,宮古地方の首長の地位を安堵された。行政制度の確立や道路整備に力を入れるなど,宮古地方の基盤を固めた。切り石積みのみごとな墓が平良市の漲水海岸に残っている。

(高良倉吉)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「仲宗根豊見親」の解説

仲宗根豊見親 なかそね-とゆみや

?-? 琉球宮古島の首長。
「忠導氏家譜」によると天順年間(1457-64)に生まれる。1500年八重山の遠弥計赤蜂(おやけ-あかはち)の乱で中山(ちゅうざん)軍の先鋒として戦功をたて,尚真王から宮古島の初代の頭(かしら)に任命された。幼名は空広(そらびー)。字(あざな)は玄雅(げんが)。名は「とよみや」ともよむ。

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