伊丹万作(読み)イタミマンサク

デジタル大辞泉 「伊丹万作」の意味・読み・例文・類語

いたみ‐まんさく【伊丹万作】

[1900~1946]映画監督脚本家愛媛の生まれ。皮肉と諧謔かいぎゃくに富んだ作風で、時代劇に近代的感覚をもたらした。代表作は「国士無双」「赤西蠣太」など。脚本に「無法松の一生」。

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共同通信ニュース用語解説 「伊丹万作」の解説

伊丹万作

伊丹万作いたみ・まんさく 1900~46年。知性派の映画監督エッセイストとして活躍。映画「無法松一生」などの優れた脚本も残した。長男は伊丹十三じゅうぞう監督、長女は作家大江健三郎おおえ・けんざぶろう夫人ゆかりさん。

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精選版 日本国語大辞典 「伊丹万作」の意味・読み・例文・類語

いたみ‐まんさく【伊丹万作】

  1. 映画監督・脚本家。本名池内義豊。愛媛県出身。映画監督として、時代劇に新風を吹き込む。代表作「赤西蠣太(かきた)」「国士無双」など。脚本に「無法松の一生」などがある。明治三三~昭和二一年(一九〇〇‐四六

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「伊丹万作」の意味・わかりやすい解説

伊丹万作
いたみまんさく
(1900―1946)

シナリオ作家、映画監督。本名池内義豊。明治33年1月2日愛媛県松山市に生まれる。松山中学卒業。一時挿絵画家となったが、中学の同窓生伊藤大輔(だいすけ)の勧めで映画界に入る。1927年(昭和2)日活入社、翌年千恵蔵プロへ転じ、『仇討流転(あだうちるてん)』で監督となる。『国士無双』(1932)で時代劇に風刺的なファンタジーを導入、出世作となる。『武道大鑑』(1934)、『忠次売出す』『戦国奇譚(きたん) 気まぐれ冠者』(1935)、『赤西蠣太(あかにしかきた)』(1936)などでは、市民的な人道主義によって時代劇の武張った精神を諧謔(かいぎゃく)化した。こうした作風は1930年代においては知的で新鮮であり、時代劇革新の旗手とみなされた。1937年に日本・ドイツ合作映画『新しき土』を発表。翌年『巨人伝』監督後、闘病生活を余儀なくされる。以後『無法松の一生』や『手をつなぐ子等(ら)』のシナリオ執筆や映画論、社会批評など著述に専心した。昭和21年9月21日死去。映画監督であり、俳優伊丹十三(じゅうぞう)はその長男である。

[千葉伸夫]

資料 監督作品一覧

仇討流転(1928)
続万花地獄 第一篇(1928)
春風の彼方へ(1930)
源氏小僧出現(1930)
逃げ行く小伝次(1930)
御存知源氏小僧(1931)
金的力太郎(1931)
花火(1931)
国士無双(1932)
闇討渡世(1932)
研辰(とぎたつ)の討たれ(1932)
刺青(いれずみ)奇偶(1933)
渡鳥木曾土産(1934)
武道大鑑(1934)
忠臣蔵 刃傷篇・復讐(ふくしゅう)篇(1934)
忠次売出す(1935)
戦国奇譚 気まぐれ冠者(1935)
赤西蠣太(1936)
新しき土(1937)
故郷(1937)
権三(ごんざ)と助十(すけじゅう)(1937)
巨人伝(1938)

『『伊丹万作全集』全3巻(1961・筑摩書房)』

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改訂新版 世界大百科事典 「伊丹万作」の意味・わかりやすい解説

伊丹万作 (いたみまんさく)
生没年:1900-46(明治33-昭和21)

映画監督。〈髷をつけた現代劇〉を提唱した稲垣浩とともに,サイレント末期からトーキー初期にかけて〈千恵蔵映画〉(片岡千恵蔵主演のコミカルな味わいをもった現代語セリフの時代劇)を世に送って〈時代劇〉に新生面を開いた。10年間に22本の映画を撮ったが,すべて自作のシナリオによる。〈日本のルネ・クレール〉などと呼ばれたその〈知性の映像〉,内面のペシミズムとうらはらの軽妙洒脱(しやだつ)な語り口は,彼の映画のプリントとして現存している3本のうちの1本(しかも前半のほぼ1巻分が欠けているといわれる)《赤西蠣太》(1936)と《伊丹万作全集》第3巻所収の〈映画シナリオ集〉にわずかに片鱗がうかがえるのみで,名作といわれる《国士無双》(1932)もトーキー第1作の《忠次売出す》(1935)も現存していない(《赤西蠣太》のほかに現存するのは,戦国時代の経済破壊工作を描く奇抜なアイディアの《気まぐれ冠者》(1935)と,ビクトル・ユゴーの《レ・ミゼラブル》(1862)を翻案した《巨人伝》(1938))。

 本名,池内義豊。松山市生れ。雑誌《少年世界》に巌谷小波の童話の挿絵などを描いていたが,中学時代からの親友,伊藤大輔のすすめでシナリオを書き始め,1928年5月に設立された片岡千恵蔵の〈千恵プロ〉第1回作品《天下太平記》(稲垣浩監督)のシナリオを書く。以来,伊丹脚本,稲垣監督のコンビによる作品は《無法松の一生》(1943),伊丹の死後に作られた《手をつなぐ子等》(1948)に至るまで9本に及ぶ。37年,日独合作映画《新らしき土》の日本側の〈協同〉監督を務め,〈1年間の精力を意味なく浪費した〉といわれる。その後,胸を病み46年に病没。エッセイスト,映画理論家としても知られ,その著作は《伊丹万作全集》全3巻に収められている。俳優の伊丹十三はその長男,作家の大江健三郎は女婿である。
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20世紀日本人名事典 「伊丹万作」の解説

伊丹 万作
イタミ マンサク

昭和期の映画監督,脚本家



生年
明治33(1900)年1月2日

没年
昭和21(1946)年9月21日

出生地
愛媛県松山市湊町

本名
池内 義豊

別名
雅号=池内 愚美

学歴〔年〕
松山中〔大正6年〕卒

経歴
中学卒業後、上京して鉄道院に勤め、そのかたわら洋画を学ぶ。退職して少年雑誌に挿絵を書いていたが、シナリオも書くようになり、昭和3年片岡千恵蔵プロダクションに脚本家兼助監督として入社、同年自作の「仇討流転」で監督デビュー。以後幅広く活躍し、JO、東宝、日活と動く。7年「国士無双」、9年「武道大鑑」、10年「忠治売出す」で地位を確立。自作のほか、志賀直哉「赤西蠣太」(11年)など多くの文芸作品の脚色監督もした。13年以降は健康にすぐれず、シナリオに専念。代表作に「無法松の一生」(16年)「手をつなぐ子等」(19年)がある。一方、評論、随筆も多く記し「影画雑記」「静臥雑記」などの著書がある。没後、志賀直哉、中野重治らの監修で「伊丹万作全集」(全3巻 筑摩書房)が刊行された。平成8年には幻の作品といわれた片岡千恵蔵主演の「国士無双」(昭和7年)が発見され、東京国際映画祭で上映された。

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百科事典マイペディア 「伊丹万作」の意味・わかりやすい解説

伊丹万作【いたみまんさく】

映画監督。本名池内義豊。松山市に生まれ,松山中学卒。中学時代からの友人伊藤大輔のすすめでシナリオを書き,1928年より片岡千恵蔵プロダクションで監督,脚本家として活躍。時代劇に現代的知性を加味し,風刺時代劇を開拓した。代表作に《国士無双》(1932年),《赤西蠣太》(1936年)等があるが,現存するプリントは3本のみ。俳優・監督の伊丹十三は長男,作家の大江健三郎は女婿。《伊丹万作全集》全3巻がある。
→関連項目稲垣浩長門裕之

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「伊丹万作」の意味・わかりやすい解説

伊丹万作
いたみまんさく

[生]1900.1.2. 松山
[没]1946.9.21.
映画監督。本名池内義豊。松山中学卒業。 1927年日活京都撮影所に入社,最初はシナリオを書いていたが翌年片岡千恵蔵プロに転じ,処女作『仇討流転』 (1928) を発表。以後『国士無双』 (32) ,『刺青奇偶 (いれずみちょうはん) 』 (33) ,『武道大鑑』 (34) ,『忠次売出す』 (35) ,『赤西蠣太』 (36) などの作品を生んだ。時代劇映画に現代的批判を盛込んだ風刺時代劇の新ジャンルを開拓し,知性的作家として高く評価された。 38年以後病床に伏し『無法松の一生』『手をつなぐ子等』などのシナリオを執筆,『伊丹万作全集』 (3巻,61) などの著作がある。長男は俳優,映画監督の伊丹十三。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「伊丹万作」の解説

伊丹万作 いたみ-まんさく

1900-1946 昭和時代の映画監督,脚本家。
明治33年1月2日生まれ。伊丹十三の父。昭和2年日活に入社。翌年片岡千恵蔵プロに転じ「仇討流転」で初監督。「国士無双」「忠次売出す」「赤西蠣太(かきた)」などを手がける。のち稲垣浩監督の「無法松の一生」などの脚本をかいた。昭和21年9月21日死去。47歳。愛媛県出身。松山中学卒。本名は池内義豊。
【格言など】病臥九年更に一夏を耐へんとす(辞世)

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367日誕生日大事典 「伊丹万作」の解説

伊丹 万作 (いたみ まんさく)

生年月日:1900年1月2日
昭和時代の映画監督;脚本家
1946年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の伊丹万作の言及

【赤西蠣太】より

片岡千恵蔵主演,伊丹万作監督による1936年製作の異色時代劇。千恵蔵プロ作品。…

【片岡千恵蔵】より

…その後,直木三十五から牧野省三に紹介され,27年,マキノ・プロに入社,片岡千恵蔵の名のもとに連続時代劇《万花地獄》で本格的に映画界へデビュー,時代劇スターとして脚光を浴びるが,28年,マキノを退社,片岡千恵蔵プロダクション(千恵プロ)を発足させた。最初の作品《天下太平記》は,脚本伊丹万作,監督稲垣浩で,ともに伊藤大輔から紹介された無名の新人である。当時,悲壮美をうたった時代劇が多い中,活気あふるる明朗時代劇として輝き,29年,千恵プロは京都嵯峨野にみずからのスタジオを設立,はなばなしい活躍期に入った。…

【国士無双】より

伊丹万作監督のサイレント映画の〈幻の名作〉で,フィルムは現存しない。1932年製作の片岡千恵蔵プロダクション(千恵プロ)作品。…

【無法松の一生】より

稲垣浩監督作品。原作は岩下俊作の《富島松五郎伝》(1939)で,脚本は伊丹万作。明治から大正にかけての九州小倉を舞台にして,無鉄砲さのために〈無法松〉と呼ばれた人力車夫松五郎(阪東妻三郎)が,ふとした縁で知りあった軍人の未亡人とその息子に一生をささげる純愛・献身の物語であるが,伊丹万作は当時の時勢のなかで〈最上の題材〉ではないと意識しながらも,人間の素朴な美しさや悲しさ以上に,極度に抑圧された恋愛を描いた小説であると読みとって脚色,日本映画の名作シナリオの1本に数えられている。…

※「伊丹万作」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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