伊達家屋敷跡(読み)だてけやしきあと

日本歴史地名大系 「伊達家屋敷跡」の解説

伊達家屋敷跡
だてけやしきあと

[現在地名]伊達市梅本町

現在の伊達市開拓記念館の敷地約一・七ヘクタールにあった屋敷。明治三年(一八七〇)仙台藩伊達氏一門で亘理わたり要害(現宮城県亘理町)を居城としていた亘理伊達家の伊達藤五郎邦成とその家臣団移住が始まり、伊達家の有珠うす郡支配所が建てられ、邦成が伊達家屋敷を建てたため開拓の拠点となった。

仙台藩は明治維新の戊辰戦争の際、奥羽越列藩同盟を結成し、これを主導して新政府に反抗した罪を問われ、明治元年一二月に石高は六二万石から二八万石に削減された。新たに与えられた二八万石は旧領地中央部の五郡などで、仙北の各郡は没収されて下野宇都宮藩などが取締にあたった。仙南の五郡には、同盟軍に加わって賊軍とされた盛岡藩が、一三万石に減額されて転封を命ぜられた。この仙南せんなん地区は亘理郡・宇多うだ郡北部が伊達邦成、刈田かつた白石しろいし(現宮城県白石市)などが片倉小十郎伊具いぐ角田かくだ(現同県角田市)などが石川源太、柴田しばた舟岡ふなおか(現同県柴田町)などが柴田外記、伊具郡金山かねやま(現同県丸森町)などが中島虎之助、同郡丸森まるもり(現同上)などが佐々豊前の伊達藩重臣の地方知行地であった。仙北は家臣・住民とも従来のままの居住での生活が許されたが、仙南は盛岡藩の転封によって土地・住宅の明渡しが必要となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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