伯爵戦争(読み)はくしゃくせんそう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「伯爵戦争」の意味・わかりやすい解説

伯爵戦争
はくしゃくせんそう
Grevensfejde デンマーク語

デンマークの宗教改革の原因となった戦争(1534~1536)。フレゼリク1世Frederik Ⅰ(1471―1533、在位1523~1533)は、王権の強化を目的とし、新教に対して寛大な政策を行った。彼の没後、旧教勢力の本拠である国務院は、その嗣子(しし)クリスティアンChristian(3世)の即位を拒否。この政治的混乱に乗じ、1534年、リューベックに支援されたオルデンブルク伯クリストファーChristoffer af Oldenborg(1504―1566)指揮下の軍隊がシェラン島に上陸、戦争が開始され、同年8月までにリレ・ベルト(小ベルト海峡)以東がクリストファー伯の支配下に入った。ユトランドの新教貴族はクリスティアン3世(1503―1559、在位1534~1559)を擁立。同年12月にクリストファー軍を撃破し、1535年にスウェーデンの援助を得てスコーネ奪回、さらにコペンハーゲンも包囲するに至った。1536年クリストファー軍は無条件降伏し、かくてクリスティアン3世は新教によりデンマーク全土の統治を開始した。なお、戦争名はクリストファー伯に由来する。

[牧野正憲 2022年7月21日]

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世界大百科事典(旧版)内の伯爵戦争の言及

【デンマーク】より

…没後その子クリスティアン3世(在位1534‐59)の王位継承が混乱の中で貴族会により1年間拒絶されたが,ユトランドの貴族らは彼を支持した。これに対し首都やマルメーの市民らが貴族勢力に抗するため前王クリスティアン2世(在位1513‐23)を擁立し,これをリューベック軍が支援する形で争った(伯爵戦争)。しかし1536年に首都が陥落してクリスティアン3世の勝利のもとに内乱は終結,貴族会ではルター教会が承認されることとなった(1537)。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」