佐志郷(読み)さしごう

日本歴史地名大系 「佐志郷」の解説

佐志郷
さしごう

現宮之城町東部、西流するあな川下流域一帯をさす。郷名は佐司とも記された。

〔中世〕

寛正五年(一四六四)の平徳重覚書(町田氏正統系譜)によれば、享徳元年(一四五二)に島津氏によりけどう院の検田が行われ、九月一日に時吉ときよし穴川口より始められた検田は一〇月二〇日までの間に佐志などまで終わっている。寛正五年九月一八日には「さしいしのわき門之内畠一ケ所」が大山太郎九郎から松尾まつお(のち松尾山興全寺)に寄進された(「大山太郎九郎寄進状」答院記)。明応四年(一四九五)九月一八日には渋谷重慶から「佐志村田原門之内」「(柳)田本田一反」が(「渋谷重慶寄進状」同書)、大永七年(一五二七)二月吉日には藤井房幸から「佐志之名苅屋瀬之内篠田一反」がそれぞれ興全こうぜん寺に寄進された(「藤井房幸寄進状案」同書)苅屋瀬かりやせは天文二年(一五三三)八月彼岸日の薩摩答院松尾寺住持興弁寄進地記文(同書)に「広瀬借屋瀬」とみえるから、中世の佐志村あるいは佐志名は広瀬ひろせ田原たばる地域を含んでいたことが確認される。また田地を寄進された興全寺は、渋谷氏系答院氏の行重により永仁五年(一二九七)当地の松尾山上に天台宗寺院として建立されて松尾寺と称し、応永五年(一三九八)下の台地に移されて興全寺と改められたという(三国名勝図会)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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