佐橋庄(読み)さばしのしよう

日本歴史地名大系 「佐橋庄」の解説

佐橋庄
さばしのしよう

現柏崎市内、鯖石さばいし川流域の庄園。庄名は鯖石川に由来するものであろう。初見は「吾妻鏡」文治二年(一一八六)三月一二日条に載せる関東知行国乃貢未済庄々注文で「六条院領 一条院女房右衛門佐局沙汰」として「佐橋庄」とある。六条院は白河上皇造営で、皇女郁芳門院子の御所にあてられ、永長元年(一〇九六)郁芳門院没後は持仏堂として諸国の庄園が寄進された。したがって当庄の成立も白河院政期と思われる。六条院領は歴代の上皇に伝領され、承久の乱後は後高倉院領、さらに北白川院を経て建長元年(一二四九)室町院領となった。嘉元三年(一三〇五)七月二六日、亀山上皇は佐橋庄などを後二条天皇に譲進している(亀山院御凶事記)が、翌四年六月一二日永嘉門院(瑞子女王)使家知申状并御領目録(竹内文平氏所蔵文書)の室町院領の条に「越後佐橋庄」は「内裏御分 永定卿 康仙」とみえるので、正安二年(一三〇〇)の室町院没後、亀山上皇を経て後二条天皇へ譲られ内裏分となったことがわかる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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