佐比河原(読み)さいのかわら

日本歴史地名大系 「佐比河原」の解説

佐比河原
さいのかわら

かも川とかつら川が合流する塔ノ森一帯は、古代の石原いしはら(和名抄)の地にあたり、佐比河原と称された。貞観一三年(八七一)閏八月二八日付太政官符(類聚三代格)に、

<資料は省略されています>

とみえ、もと「百姓葬送之地、放牧之処」であったこの辺りの河原が、近年耕地化されつつあり、それを禁止する旨が定められている。

佐比の名称もこの辺りが葬送の地であったことにちなむものであろう。

この佐比河原の地にはかつて佐比寺と称する一寺があった。「日本後紀」大同元年(八〇六)四月一五日条に「行四七斎於佐比鳥戸崇福寺」とあり、この日、桓武天皇の四七の法要が行なわれた三寺の一として名がみえ、また「類聚国史」には、弘仁年間に「佐為・百済・粟倉」の三寺が各々綿一〇〇斤を施された記事等が散見し、この「佐為」寺が佐比寺を示すとすれば、平安京成立以来、朝廷帰依を受けた寺院であったと思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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