佐礼城跡(読み)されいじようあと

日本歴史地名大系 「佐礼城跡」の解説

佐礼城跡
されいじようあと

[現在地名]玉川町別所

佐礼山(二八一・一メートル)今治いまばり平野の北西部にある山で、山麓は緩やかであるが、五郎兵衛坂の辺りからはとくに急峻となる。

宝徳三年(一四五一)四月、幕府は、当時伊予国で河野通春と抗争していた河野通教を援助するため小早川盛景ら中国勢に伊予出陣を命じた(小早川家文書)。六月までに通春方の城二〇余城を攻め落しているが、佐礼城は因島いんのしま村上吉資が攻略したようで、六月一四日通教から吉資に宛てた感状に「去十一日、佐礼城打落、松岡以下頸八到来候、太慶至極候、同所之敵城落居候目出候」(萩藩閥閲録)とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

五節舞

日本の上代芸能の一つ。宮廷で舞われる女舞。大歌 (おおうた) の一つの五節歌曲を伴奏に舞われる。天武天皇が神女の歌舞をみて作ったと伝えられるが,元来は農耕に関係する田舞に発するといわれる。五節の意味は...

五節舞の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android