佐竹 永邨(読み)サタケ エイソン

20世紀日本人名事典 「佐竹 永邨」の解説

佐竹 永邨
サタケ エイソン

明治・大正期の日本画家



生年
弘化2年2月23日(1845年)

没年
大正11(1922)年8月

出生地
陸奥白河(福島県)

本名
佐竹 信

別名
通称=竹松,字=千畝

経歴
初め馬弓碧潭に絵を学び、かたわら谷文晁の高弟藩生羅漢に教えを受ける。のち佐竹永海師事し、永海次女と結婚、佐竹姓を継いだ。数年にわたって諸国を遊歴、南北合派による山水をもっとも得意とした。明治10年内国勧業博に「山水」を出品。日本美術協会委員、日本画会委員となり、御用画、御前揮毫もつとめた。また40年文展開設に際して結成された正派同志会では評議員となった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「佐竹 永邨」の解説

佐竹永邨 さたけ-えいそん

1845-1922 明治-大正時代の日本画家。
弘化(こうか)2年2月23日生まれ。蒲生羅漢(がもう-らかん),佐竹永海に師事。永海の次女と結婚し,佐竹姓を名のる。明治10年内国勧業博覧会に「山水」を出品。日本美術協会委員,日本画会委員,正派同志会評議員などをつとめた。大正11年8月7日死去。78歳。陸奥(むつ)白河(福島県)出身本名は信。字(あざな)は千畝。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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