佐藤 寅太郎(読み)サトウ トラタロウ

20世紀日本人名事典 「佐藤 寅太郎」の解説

佐藤 寅太郎
サトウ トラタロウ

明治〜昭和期の教育者,政治家 信濃教育会会長;衆院議員。



生年
慶応2年12月5日(1867年)

没年
昭和18(1943)年9月21日

出生地
信濃国佐久郡長土呂村(長野県佐久市)

学歴〔年〕
長野県尋常師範学校〔明治22年〕卒

経歴
教員となる。明治25年本牧村11か村組合川西高等小学校校長となり、佐久地方で初となる宿泊を含んだ修学旅行を実施。次いで岩村田尋常高等小学校を経て小諸小学校校長に赴任し、学校を地域強化の中心と位置づけ、全校生徒の浅間山登山を挙行するなど独自の教育を行った。また、教育者木村熊二が塾長を務める小諸義塾を町立小諸商工学校に改編し、のちには同校長も兼任した。39年北佐久教育会長に選出され、行政の補助機関となっていた教育会の独立・自主化に尽力。さらに長野県視学・学務課長を務めるなど教育行政でも活躍し、長野工業学校の設置、官立松本高等学校の誘致・育英事業の充実などに当たった。大正7年信濃教育会会長に就任し、以後16年間在任。9年には周囲から推されて衆議院選挙に出馬・当選し、政友会に属した。昭和9年に信濃教育会会長を辞したのちは岩村田中学校校長や岩村田高等女学校校長を歴任し、16年に退職著書に「教育心経」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「佐藤 寅太郎」の解説

佐藤寅太郎 さとう-とらたろう

1867*-1943 明治-昭和時代前期の教育者,政治家。
慶応2年12月5日生まれ。長野県の小諸(こもろ)小学校長などをへて,県視学,学務課長をつとめる。大正7年信濃(しなの)教育会長。9年衆議院議員(政友会)。昭和18年9月21日死去。78歳。信濃(長野県)出身。長野師範(現信州大)卒。号は長洲著作に「教育心経」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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