佩楯山(読み)はいだてさん

日本歴史地名大系 「佩楯山」の解説

佩楯山
はいだてさん

三重町南東方、南海部郡本匠ほんじよう村との境界にある。標高七五三・八メートル。古くは灰立はいだて山とも記された。江戸時代までは海部郡との境をなし、「豊後国志」には「奇峰峭立、石壁嶮峻、遠望則如削成」と山容が記される。「豊後国風土記」にみえる大野郡の烽場一ヵ所は、標高や次烽の比定地の位置から当山上であろうと推定されている(三重町誌)。嘉永五年(一八五二)臼杵藩は林政に力を入れ、灰立山(佩楯山)への植林を命じ、小坂おさか村民らにより杉苗木が植えられた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

五節舞

日本の上代芸能の一つ。宮廷で舞われる女舞。大歌 (おおうた) の一つの五節歌曲を伴奏に舞われる。天武天皇が神女の歌舞をみて作ったと伝えられるが,元来は農耕に関係する田舞に発するといわれる。五節の意味は...

五節舞の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android