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作曲家。京都に生まれ大阪で育つ。東京音楽学校でチェロと作曲を学ぶ。1920年から約2年間,文部省派遣留学生としてベルリンに滞在。バッハやベートーベンからレーガー,R.シュトラウス,スクリャービン,シェーンベルクまで実に豊富な作品に触れ,多数の楽譜や音楽書を東京に持ち帰った。信時の蔵書(とくにシェーンベルク関係文献)が日本における20世紀音楽の受容に果たした役割は大きい。帰国後,1923年から母校の教授として門下生の育成に努めた。42年芸術院会員,63年文化功労者。作品には,〈紀元2600年〉(1940)を祝して初演されたカンタータ《海道東征》,ピアノ曲《木の葉集》,合唱曲《海行かば》(1937。詞は大伴家持による),歌曲《小倉百人一首》《沙羅》などがある。
執筆者:後藤 暢子
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作曲家。大阪生まれ。東京音楽学校でチェロと作曲を学び、1910年(明治43)卒業後さらに研究科を修了して、20年(大正9)ドイツに留学、作曲をゲオルク・シューマンに師事。帰国後母校の教授を務めた。42年(昭和17)芸術院会員、63年(昭和38)文化功労者。作風はドイツの古典的手法による堅実で荘重なもので、『木の葉集』(1934)などのピアノ曲、『沙羅(さら)』(1935)、『やまとには』(1939)などの歌曲や合唱曲が多い。紀元2600年記念祭で初演された交声曲『海道東征』(1940)は、日本人の手になる本格的なカンタータとしてしばしば演奏され、また大伴家持(おおとものやかもち)の歌詞による合唱曲『海ゆかば』(1937)は第二次世界大戦中によく歌われた。
[船山 隆]
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