倉井村(読み)くらいむら

日本歴史地名大系 「倉井村」の解説

倉井村
くらいむら

[現在地名]三水村大字倉井

現三水村の南部。東は大倉おおくら(現豊野町)、東南隅は川谷かわたに村、南は鳥居とりい川中央をもって神代かじろ(現豊野町)、西は普光寺ふこうじ村、北は芋川いもがわ村及び北東隅は赤塩あかしお村と接する。

村の西南神代村境を鳥居川が河谷をつくって流れ、中央部はその段丘上に平地を形成し、東北へ開けている。この平地を斑尾まだらお川が東流しているが、この平地を西から東へ三本の道が横断している。北から飯山いいやま道、川東かわひがし道・北国東街道である。なお、鳥居川河谷の左岸たに筋道牟礼むれい道あるいは浅野あさの道)が通じ、集落はこれら諸街道に沿って散在する。

嘉暦四年(一三二九)三月、鎌倉幕府が諏訪社上社の五月会御射山等頭役の結番を定めた下知状案(守矢文書)に「倉井」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android