儀徳村(読み)ぎとくむら

日本歴史地名大系 「儀徳村」の解説

儀徳村
ぎとくむら

[現在地名]鳥栖市儀徳町ぎとくまち

幸津さいつ村に南接。北部は低位段丘、南部はぬま川左岸の平地。正応五年(一二九二)の「惣田数注文」(河上神社文書)に「義得保」、文禄四年(一五九五)の豊臣秀吉朱印状写(鍋島家文書)に「ぎとく」、慶長絵図に「議徳村」とみえる。近世では佐賀藩領養父やぶ郡の「郷はずれ」。枝村に久保くぼ村がある。地米(年貢)高は貞享四年(一六八七)改郷村帳で六四七石余、うち蔵入地三一二石余、村田鍋島家の私領七五石、他の配分地二六〇石である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報