出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
諸子百家の首位に立つ中国古代の思想集団。孔子を開祖として戦国期の孟子,荀子など原始儒家によって大きく思想形成を遂げた。先秦諸子のうちこの儒家と墨家が,活動的学派として最も組織的かつ活発であった。この学団は,民間の長老,巫祝(ふしゆく)に由来する伝統的な宗族・郷村内の儀礼を保持する職業団体を背景にもったらしく,〈儒〉の呼称はその柔弱・緩慢のニュアンスをもつ軽侮の形容で,時流に迂遠な葬儀・祭礼方面に従事する保守的な技術教導者の一面をさす,といわれる。孔子を中心に発足したこの集団は,その死後は門人たちによって魯(山東省)の中心地から各地に分散し展開して,戦国末期には8派を数えたという。孟子や荀子には,〈先王の道〉(尭舜,周公,孔子の教え),つまり孔子が理想化した周初の礼楽文化の復興を意図して,自己を〈儒〉と位置づける帰属意識が強い。秦・漢統一帝国以後は,彼らが奉持した古典〈経書(けいしよ)〉が六芸(りくげい)(〈詩〉〈書〉〈礼〉〈楽〉〈易〉〈春秋〉)として国教に公認された(前漢の武帝,前136)が,その国家学の内容は,董仲舒(とうちゆうじよ)系の公羊(くよう)春秋学における〈君臣・父子の礼,夫婦・長幼の序(けじめ)〉などの名分主義と,陰陽五行説による天人相関説を配合して,〈人君を助け,陰陽に順(したが)い,教化を明らかにする〉統治者(天子,人君)を政教一致の体現者とするものであった(《漢書》芸文志)。
→儒教
執筆者:戸川 芳郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
中国で紀元前500年ごろ孔子(こうし)(孔丘)によって始められた学派の名。墨家(ぼくか)、道家(どうか)などと並んで九流(諸子百家(ひゃっか)を類別して九家とする)の一つ。孔子以後の儒家はこれらの諸学派と対立しつつ、同時にその長を取り入れて教学を整え、またその間に孟子(もうし)(孟軻(もうか))、荀子(じゅんし)のごとき傑出した人材を出してしだいに発展を遂げ、前漢(ぜんかん)武帝の前136年(建元5)には他学派を抑えて国教化に成功した。かくて儒教一尊の体勢が確立したことにより、学派としての意識は薄れるが、しかしその後も歴代の書籍目録においては九流の一つとしての儒家の概念が残っており、宋(そう)代の朱子学では、仏道二教に対する意味での学派意識が復活している。
儒という名称の起源は明らかでない。有力な一説に、儒とは優柔不断を意味し、その教説が迂遠(うえん)で乱世には実効に乏しいことから、本来は外から名づけられた蔑称(べっしょう)であったとするが、また別に、広く学者の意であったともいう。いずれにせよ、これを自派の称とする用例は『孟子』にみえ、その由来は古い。
[楠山春樹]
諸子百家の一つ。孔子の学を奉ずる学派。孝悌(こうてい)の道を第一義とし,家族倫理の実践と経書(けいしょ)の学習を通じて,仁(人道)の完成,礼秩序の維持に努め,もって治国平天下を説く。戦国時代の曾子(そうし),子思(しし),孟子(もうし),荀子(じゅんし)らによって発展したもので,漢代の董仲舒(とうちゅうじょ)はこれを統一王朝の思想統一,社会秩序維持に即応する政治学,倫理学に整備したことから,儒家の学は中国の正統的教学となった。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…そこでいう公・私は,上・下と言いかえてもよく,公は君主の利害,私は臣民の利害であって,法とは前者に奉仕し後者を牽制するものにほかならない。原始儒家では,公・私はともに君主の為政のあり方にかかわり,公平でえこひいきせず,恵みを万人に均(ひと)しく及ぼすことが公とされた。《荀子》賦篇には〈公正無私〉という言葉もみえる。…
…
[思想,芸術]
この《官吏心得》は,戦国末の秦で公布されたものであるが,その内容は上述の商鞅の著書とされる《商君書》(成立は戦国末)と共通する思想がみられ,また荀子の思想の影響がみられる。荀子は儒家といわれ,商鞅は法家といわれる。このように戦国末には異なった思想がいくつもみられるが,その源流は春秋末に出た孔子である。…
…相手の名称をあげて専門思想家を対比して批判するのは,戦国末期の《荀子》非十二子篇,《韓非子》顕学篇や《荘子》天下篇などに見える。ことに〈儒墨〉(儒家学団と墨家集団)とが並称され,その二大勢力を誇ったさまを伝えている。また,〈諸子〉を陰陽之術,儒者,墨者,法家,名家,道徳の6専家に分類したのは,前漢初期,司馬遷の父,司馬談の〈六家(りくか)之要指〉(《史記》太史公自序)にはじまる。…
…そのほか五行説は,物質の素材によって楽器を分類する〈八音〉の観念形式にも貢献した。 感化作用について,諸家のうち最も力説したのが儒家であった。始祖の孔子が音楽を愛好し,みずからも楽器を演奏して,人格形成の修養に役立つとしたからである。…
…ここでいわゆる〈道教〉とは,〈先王〉すなわち中国の最古代,夏・殷・周3代の王朝の聖王たちが実践した政治教化の軌跡もしくは規範を意味するが,注目されるのは,〈儒者〉がその軌跡もしくは規範をすでに早く〈道教〉とよんでいたこと,さらにこの〈儒者〉のいわゆる〈道教〉(〈先王の道〉の教)を墨子教団の学者たちが似て非なるものと批判しつつ,みずからの教説を真正の〈道教〉であると強調していることである。つまり中国の思想史において道教という言葉(概念)を最初に用いているのは,〈儒者〉すなわち儒家の学者たちであり,次いでそれを批判是正する形で墨家すなわち墨子教団の学者たちがそれを用いていることである。そして,墨家のいわゆる真正の〈先王の道教〉とは,要するに夏王朝の禹王以来とされる上帝鬼神への敬虔な宗教的信仰,および祭祀祈禱その他の宗教儀礼の誠実な実践をその根幹とするものであり,儒家のいわゆる〈道教〉が似て非なるものときびしく批判されるのも,この宗教的な根幹を軽視もしくは無視していると見られたからであった。…
…現代中国で,〈礼とは奴隷制あるいは封建制の上部建築の総称であり,その核心をなすのは身分制度とそれにふさわしい社会的道徳的規範〉などと批判されるゆえんである。 礼を推進したのはむろん儒家であった。礼は仁義礼智信の〈五常〉のなかに組み込まれている。…
…上下尊卑の体制を保守する周代貴族の伝統的礼楽理念は,やがて,人倫秩序の一般原理へと観念化されていった。 〈礼楽〉の実修を教課として仁孝道徳の具現をはかった儒家は,戦国末期の道家理論などに刺激され,おもに荀子(じゆんし)系の努力で,支配者層を一定の身分存在(王,侯,卿,大夫,士)に分属させる階層的礼法理論をもとに,社会・文化の新体制構想を唱道した。秦漢帝国の出現後は,礼楽制度が現実の法治支配を支配者内部の秩序規定を行うことで支持し,統治権力を補完する一方,礼楽体制を聖人(周公と孔子)の制作した〈天地の節序(きまり)〉であり,社会・文化を貫く普遍の道徳世界とする礼義(礼楽理論)を完成するにいたった。…
※「儒家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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