元柳町(読み)もとやなぎまち

日本歴史地名大系 「元柳町」の解説

元柳町
もとやなぎまち

[現在地名]甲府市武田たけだ三―四丁目

大工だいく町の北に続く町人地で、上府中二六町の一町。元城屋もとじようや町三丁目の西に並行する南北の通りで、北は古府中こふちゆう村に接する。慶長一六年(一六一一)古府中再検地帳(県立図書館蔵)にみえるやなぎ小路が旧地名と考えられ、慶安三年(一六五〇)の府中伝馬人足割帳(同館蔵)では古柳町と記す。宝永二年(一七〇五)元柳町と改めた(「上下府中人数覚」同館蔵)。享和三年(一八〇三)の小間数書上帳(同館蔵)によると東側一八一間・西側一九九間。寛文四年(一六六四)の府中諸職人改帳(同館蔵)に記される当町の職人として、当町のみに居住する茅家屋根葺職八軒と大工職四軒があったことで特色づけられる。

元柳町
もとやなぎまち

[現在地名]仙台市立町たちまち大町おおまち二丁目・さくら岡公園おかこうえん

なかノ町の北東にある侍屋敷および兵具方職人屋敷。開府当時はここに伊達譜代六町の一つ柳町が置かれ、九月日市・茶の専売などの特権を有していた。町割も町方二四町の序列に従い第五番目に行われたとされるが、名称の由来は不詳。「仙台鹿の子」によれば、寛永四―五年(一六二七―二八)頃にみなみ町南末の東方に移転したが、これは同時期の城下の南東方への拡張に伴うものと思われる。正保仙台城絵図には大町通の北二筋目までが侍屋敷、それより三筋目までが職人屋敷とある。寛文九―一一年(一六六九―七一)の城下絵図でも同様で、西裏の片平かたひら丁には北より伊達安芸・石母田織部・伊達安房片倉小十郎と大身の家臣屋敷が並ぶ。

元柳町
もとやなぎちよう

[現在地名]中区中島なかじま

中島本なかじまほん町西詰より、ほん(太田川)東岸に沿って南へ延びる通りに面する町で、南は木引こびき町の通りを隔てて中島新なかじましん町に続く。町名は「知新集」に「往古柳の大木土手根にありしゆゑ」とあり、のちに開かれた新町組の東柳ひがしやなぎ(現南区)に対し、元柳町といった。中島組に属した。

元和五年広島城下絵図に「本柳町」として町間数四〇間とある。寛永二年広島町数家数改め(済美録)では本家二九軒・借家三五軒。承応切絵図では家数三八、うち舟持一四、作人・薪売(船乗)各四、大工・紺屋各二、その他一二、うち抱屋六軒。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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