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光仁天皇【こうにんてんのう】
6件の用語解説(光仁天皇で検索)
朝日日本歴史人物事典の解説-
生年:
和銅2.10.13 (709.11.18)
没年: 天応1.12.23 (782.1.11)
奈良時代の天皇。諱は白壁。父は天智天皇の皇子施基皇子(志貴皇子)で,その第6子。母は贈太政大臣紀諸人の娘橡姫。井上内親王との間に他戸親王,高野新笠との間に山部親王(のちの桓武天皇),早良親王が生まれている。天平9(737)年無位から従四位下に叙され,天平宝字3(759)年従三位に至った。6年中納言に任じられ,天平神護2(766)年大納言となった。神護景雲4(770)年8月4日称徳天皇の崩御により,壬申の乱(672)以降続いてきた天武天皇の血統による皇位継承はとだえた。白壁王は藤原永手,百川らによって皇太子に立てられ,道鏡を左遷し,10月1日に即位,宝亀と改元した。時に62歳。即位前は,皇族が次々と罪に陥れられ廃されていくのを見,酒に浸って難を避けたと『続日本紀』は伝える。光仁天皇の時代には,官僚組織の縮小再編成(令外官,冗官の整理,廃止),緊縮財政政策など,奈良時代の度重なる政争で肥大し傾いた律令制を再建する努力が行われ,平安時代の基礎が築かれた。天応1(781)年4月3日,病により皇太子山部親王に譲位。崩御後,天宗高紹天皇と諡され,延暦1(782)年1月7日に広岡山陵(奈良市)に葬られ,5年には田原陵(奈良市)に改葬された。<参考文献>中川収『奈良朝政治史の研究』
(橋本義則)
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世界大百科事典 第2版の解説-
こうにんてんのう【光仁天皇】
709‐781(和銅2‐天応1)
第49代に数えられる奈良後期の天皇。在位770‐781年。天智天皇の孫,施基(志貴)皇子の第6子,母は紀諸人の女橡姫(とちひめ)。諱(いみな)は白壁,和風諡号(しごう)を天宗高紹(あまむねたかつぎ)天皇という。737年(天平9)無位から従四位下に叙せられ,以後累進して正三位大納言に至ったが,その間飲酒をほしいままにして皇位継承の争いに巻き込まれるのを避けていた。しかし770年8月に称徳天皇が没し,天武系の皇統が絶えると,藤原百川,永手らに擁立されて皇太子となり,道鏡を下野薬師寺別当に左遷した。・・・
▼光仁天皇について記述のある項目
藤原百川【ふじわらのももかわ】 桓武天皇【かんむてんのう】
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説-
光仁天皇 こうにんてんのう
 
709-782* 奈良時代,第49代天皇。在位770-781。
和銅2年10月13日生まれ。施基(しきの)皇子の第6王子。母は紀橡姫(きの-とちひめ)。天智天皇の孫で,父は田原天皇とも称された。称徳天皇の死で急遽皇太子となり,宝亀(ほうき)元年62歳で即位。道鏡をしりぞけ,和気清麻呂(わけの-きよまろ)を配流先から都にもどすなど,政治の刷新をした。天応元年病気のため譲位。天応元年12月23日死去。73歳。墓所は田原東陵(たわらのひがしのみささぎ)(奈良市)。別名は白壁(しらかべ)王,天宗高紹天皇(あまむねたかつぐのすめらみこと),後田原天皇。
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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。収録人物のデータは2009年1月20日現在のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
百科事典マイペディアの解説-
天智天皇の孫,施基(しき)皇子の第6子。称徳天皇の没後,藤原永手(ながて)らに擁立され,770年62歳で即位。称徳治下の僧綱(そうごう)政治を退けて道鏡を左遷,諸政の刷新・綱紀粛正をはかり,蝦夷対策にも乗り出すなど,つぎの桓武天皇の政治改革に先鞭をつけた。
(709-781)
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デジタル大辞泉の解説-
こうにん‐てんのう 〔クワウニンテンワウ〕 【光仁天皇】
[709~781]第49代天皇。在位、770~781。天智天皇の孫。志貴皇子の第6王子。名は白壁。称徳天皇没後、藤原永手・藤原百川らに擁立されて即位。道鏡を下野(しもつけ)薬師寺別当に左遷し、皇后・皇太子を反逆の罪で廃するなど、政治的に多難であった。
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大辞林 第三版の解説-
こうにんてんのう【光仁天皇】
(709~781) 第四九代天皇(在位770~781)。名は白壁(しらかべ)。天智天皇の孫。施基(しき)皇子の子。称徳天皇の死後,藤原永手・百川らに擁立されて即位。道鏡を下野(しもつけ)に左遷し,和気清麻呂を召還するなど,前代の仏教偏重の政治を改めた。
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