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光孝天皇【こうこうてんのう】
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朝日日本歴史人物事典の解説-
生年:
天長7 (830)
没年: 仁和3.8.26 (887.9.17)
平安前期の天皇。仁明天皇と贈太政大臣藤原総継の娘沢子の子。諱は時康。16歳で元服,上野大守,常陸太守など親王任国の長官を歴任(いずれも遥任),嘉祥2(849)年渤海国大使の王文矩が必ず天子の位につく相であるといった話はよく知られる。天慶8(945)年2月,55歳という高齢で即位したが,これは藤原基経の推すところであったため,在任中は基経を事実上の関白とし,最大限の権限を与えている。在位3年で病気となり,再び基経の協力を得て,臣籍に下っていた第7皇子の源定省(のちの宇多天皇)を親王に復し,皇太子に立てた。『古今集』に歌2首が収められている。墓は,後田邑陵(小松山陵)といい,当時8カ寺を壊して造られた。
(瀧浪貞子)
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説-
光孝天皇 こうこうてんのう
 
830-887 平安時代前期,第58代天皇。在位884-887。
天長7年生まれ。仁明(にんみょう)天皇の第3皇子。母は藤原沢子。陽成(ようぜい)天皇の譲位をうけて,元慶(がんぎょう)8年55歳で即位。政治の実権は先帝時代からひきつづき藤原基経(もとつね)がにぎり,実質上の関白として天皇もすべてを基経に諮問した。在位3年にして,仁和(にんな)3年8月26日死去。58歳。墓所は後田邑陵(のちのたむらのみささぎ)(京都市右京区)。諱(いみな)は時康(ときやす)。別名に小松帝。
【格言など】君がため春の野に出でて若菜摘むわが衣手に雪は降りつつ(「小倉百人一首」)
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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。収録人物のデータは2009年1月20日現在のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
百科事典マイペディアの解説-
仁明(にんみょう)天皇第3皇子。884年―887年在位。藤原基経(もとつね)の意向により55歳で即位。政治は基経を通して奏上させる形を取り,これが実質的な関白の初めとなる。 (830-887)
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デジタル大辞泉の解説-
こうこう‐てんのう 〔クワウカウテンワウ〕 【光孝天皇】
[830~887]第58代天皇。在位、884~887。仁明天皇の第3皇子。名は時康。太政大臣藤原基経の支持によって即位。小松の帝。
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大辞林 第三版の解説-
こうこうてんのう【光孝天皇】
(830~887) 第五八代天皇(在位884~887)。名は時康。小松の帝とも。仁明天皇の皇子。藤原基経の支持によって即位。
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光孝天皇に近い言葉→仁孝天皇|天皇|始馭天下之天皇|近衛天皇|四条天皇|二条天皇|熊沢天皇|三条天皇|一条天皇|六条天皇
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