兎田村(読み)うさいだむら

日本歴史地名大系 「兎田村」の解説

兎田村
うさいだむら

[現在地名]野市町兎田・みどり

富家ふけ村の西にあり、北の金剛こんごう(三宝山)を背に南に耕地が広がる。「土佐州郡志」には東西約五町南北約六町とある。村を東北から西南に横切って富家往還(現県道山北―野市線)が通る。鹿持雅澄は「土佐日記地理弁」で、本来ウダといっていたのを、のちにウサイダとよんだものとみて、「土佐日記」にみえる「宇多うだのまつばら」の宇多は兎田村から南の現赤岡あかおか町・香我美かがみ町海浜部にかけた地名とする(香我美町の→宇多の松原。しかし当村から南は古代の宗我そがべ郷の地であり、平安初期にウダの汎称があったか疑問。


兎田村
うさいだむら

[現在地名]泉南市兎田

新家しんげ村の北東に位置する。村の東部樫井かしい川が北流し平地部となっている。村域には六世紀頃と推定される兎田古墳群があり、早くから開かれた地であった。建久二年(一一九一)一〇月日の長講堂所領注文(島田文書)に「吉見菟田庄」とみえ、中世当地は菟田うさいだ庄の地であった。元和五年(一六一九)の松平周防守ヨリ引渡岸和田藩郷村帳(田中家文書)に「菟谷村」とみえ、高五三七石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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