八島寺跡(読み)やしまでらあと

日本歴史地名大系 「八島寺跡」の解説

八島寺跡
やしまでらあと

奈良市八島町にあったとみられるが、現存しない。延暦四年(七八五)の藤原種継暗殺事件に連座して非業の死を遂げた早良親王(崇道天皇)の霊を慰めるために建立されたという。「元亨釈書」巻二三に「山(陵カ)地建八嶋寺、勅天下、分州租入別倉、運納八嶋寺」と記され、延暦二五年創建説をとるが、「帝王編年記」は、これより前の同一九年七月淡路国にある早良親王の墓に勅使を派遣して参拝せしめ、親王の骨を分け、「大和国八嶋寺」に奉納せしめたと記している。また醍醐寺本「諸寺縁起集」所載の大安寺崇道天皇御院八島両処記文には、大同元年(八〇六)に山陵の地に伽藍を建立して八島寺とし、利稲三千束を施入、別当職は大安寺唐院僧の相承であったが、承保三年(一〇七六)一二月一八日夜、宝殿一宇・三重塔一基は焼失したとある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

五節舞

日本の上代芸能の一つ。宮廷で舞われる女舞。大歌 (おおうた) の一つの五節歌曲を伴奏に舞われる。天武天皇が神女の歌舞をみて作ったと伝えられるが,元来は農耕に関係する田舞に発するといわれる。五節の意味は...

五節舞の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android