日本歴史地名大系 「八崎村」の解説
八崎村
はつさきむら
[現在地名]北橘村八崎
赤城山の南西麓に位置し、山麓原および利根川河岸段丘上に広がる。東は
寛文郷帳によると田方六九四石余・畑方五三四石余、前橋藩領(幕末に至る)。貞享二年(一六八五)小室村を分村(小室村の記録では同元年)、元禄郷帳では八九二石余。明和五年(一七六八)
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
赤城山の南西麓に位置し、山麓原および利根川河岸段丘上に広がる。東は
寛文郷帳によると田方六九四石余・畑方五三四石余、前橋藩領(幕末に至る)。貞享二年(一六八五)小室村を分村(小室村の記録では同元年)、元禄郷帳では八九二石余。明和五年(一七六八)
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