ふつう朝廷に仕える文官ないしその身分層の人々をいう。本来公家(こうか)/(こうけ)の語は,朝廷・国家ひいては天皇など〈おおやけ〉を指す。律令制のもとでは,為政者は三位以上の〈貴〉と四,五位の〈通貴〉にわけられ,地方の豪族や名望家はその下位に位置づけられていた。平安後期武士や寺社の勢力が強大になると,朝廷(おおやけ)の政治を担当する身分つまり朝臣が公家と呼ばれるようになり,なかでもその最高の地位たる大臣,納言,参議を公卿(くぎよう)(総じて三位以上を上達部(かんだちめ)という),四,五位の昇殿を許された者を殿上人(てんじようびと)といい,それ以下の地下人(じげにん)と区別した。
しかし鎌倉時代以後,武士を統率する幕府が成立してその長(征夷大将軍)を〈武家〉と呼ぶようになり,公家はこの武家や寺家・社家と相対する語に用いられた。中世の社会経済体制である荘園公領制のなかでは,天皇家をはじめ公卿級の権門勢家は,本家職・領家職などいわゆる荘園領主の地位にあり,一般武士が国衙在庁や地頭・荘官の職の在地領主であったのに比べ,上位の身分であった。しかし,将軍(武家)もまた公卿に相当する官位で荘園領主でもあり,殿上人およびそれ以下の文官は,位階や荘園・公領の職では一般武士とほぼ同等であった。また同一家系で公家に仕える者も武家に仕える者も(また寺社に入り僧侶・神官となる者も)あり,公武間の通婚も多かったから,公・武をまったく別の階級として峻別するのは適切ではない。中世の朝廷の政治は伝統と因習の上に維持されていたので,公家社会では政務・法曹・学問・文芸に関する家伝や,公私の儀礼についての有職故実(ゆうそくこじつ)が重んじられた。また鎌倉時代以後,各家について官位昇進の次第と極官(到達できる最高の官)の慣例が定まり,摂家(摂関家)・清華家(華族・英雄)・大臣家・羽林(うりん)家・名家および地下諸大夫・諸道という家格が固定した。
公家は,1221年(承久3)の承久の乱以後その政治的・社会的支配力を低下させ,室町時代には形式上はなお高貴な地位を保持していたが実質上は武家に従属していた。そして室町幕府の権威の没落とともに公家は権威も所領もうしない,戦国期には衰微をきわめた。近世幕藩体制のもとでは,公家は政治的な権力をまったくもたなかったが,制度上将軍に対する封建的主従関係とは別格におかれ,高貴な身分として扱われた。しかし1615年(元和1)7月の禁中並公家諸法度(禁中方御条目)によって,実質上幕府の厳重な監督のもとにおかれ,天皇は官職位階の授与や元号の制定など国政上の儀礼的役割だけの存在となり,一般公家はそれら儀礼のほか家伝・家学あるいは宗教・芸能などでの免許権を保持するだけになった。家禄は家領からの収入と幕府からの蔵米扶持からなり,禁裏御料が約3万石,仙洞御料が約1万石,一般公家は堂上家(五位以上)と地下人にわかれ,幕末の調査で家領は堂上家137家のうち最高は近衛家の2860石,最低は60石であった。家格は中世のそれが踏襲されたが,寺院の門跡および院家も公家に準ぜられた。
→華族
執筆者:黒田 俊雄
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「こうけ・おおやけ」とも。本来は天皇・朝廷をさす用語。院政の成立後,上皇の院に対し,天皇の呼称として用いられていたが,鎌倉幕府の成立後,武家の呼称に対し,朝廷をさす用語として使われるようになった。転じて朝廷を構成する官人,とくにその上層部である公卿の別称となった。この場合の公家は,藤原氏摂関家を頂点とする上級廷臣のことで,五摂家・七清華などとよぶ家格を形成した。江戸時代には昇殿を許されたいわゆる堂上(とうしょう)家をさした。明治期には原則として子爵以上の爵位をもつ華族をさした。
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…ふつう朝廷に仕える文官ないしその身分層の人々をいう。本来公家(こうか∥こうけ)の語は,朝廷・国家ひいては天皇など〈おおやけ〉を指す。律令制のもとでは,為政者は三位以上の〈貴〉と四,五位の〈通貴〉にわけられ,地方の豪族や名望家はその下位に位置づけられていた。…
…私事でない公的な事柄を指す言葉。古くは武家に対する公家(こうか∥こうけ)を指す言葉であったが,室町時代以降権力の移動につれて武家を意味するようになり,江戸時代には世間,世の中をも指すようになった。古代においては公家(くげ)は朝廷,おおやけという意味で使用され,また漠然と天皇を指す場合もあった。…
…ふつう朝廷に仕える文官ないしその身分層の人々をいう。本来公家(こうか∥こうけ)の語は,朝廷・国家ひいては天皇など〈おおやけ〉を指す。律令制のもとでは,為政者は三位以上の〈貴〉と四,五位の〈通貴〉にわけられ,地方の豪族や名望家はその下位に位置づけられていた。…
…私事でない公的な事柄を指す言葉。古くは武家に対する公家(こうか∥こうけ)を指す言葉であったが,室町時代以降権力の移動につれて武家を意味するようになり,江戸時代には世間,世の中をも指すようになった。古代においては公家(くげ)は朝廷,おおやけという意味で使用され,また漠然と天皇を指す場合もあった。…
…次に家の内部に注目すると,上述の成員は婚姻,血縁,主従の縁を通して相互に固く結びつき,もっとも濃密な人間関係を形成していたが,外に向かって家を代表する家長(家長者,家督,惣領)とそれをつぐ嫡系子孫の地位は,主として外的契機に触発されながら,家の発達とともに強められ,それ以外の成員はしだいに従属的地位におしこめられるようになった。武士の家において,その成立期にあたる鎌倉時代に内部的には共和的で幕府との関係上惣領が所役勤仕のために一族を率いる惣領制が展開し,武士相互の抗争と政治的進出が激しくなる南北朝以降に家督の単独相続と家中への独裁が形成されるのは,この過程を如実に示すものであり,公家・武家を問わずこの中で家長が家長を頂点とする家のあり方を示す家訓,置文類を作成するようになるのは,それが当時いかに強く自覚されていたかをよく示している。 ところで家の発達が,家長の地位強化という形ですすむとすれば,その中で各家が固有に担う社会的機能を存続させようとする社会の期待は強まるはずだから,それは,家の自己保存の欲求を支え,強化された家長の地位の継承という形で,家の継承を確立させることになるだろう。…
…身分的には上﨟(じようろう)・御年寄から呉服之間までは将軍や御台所に目通りが許される〈御目見(おめみえ)以上〉であったが,それ以下は〈御目見以下〉であった。上﨟は京都の公家の女が多いが,御年寄以下は武家の女から選ばれた。しかし御末のような下級者は町人の女でも武家の取次ぎによって採用された。…
…私事でない公的な事柄を指す言葉。古くは武家に対する公家(こうか∥こうけ)を指す言葉であったが,室町時代以降権力の移動につれて武家を意味するようになり,江戸時代には世間,世の中をも指すようになった。古代においては公家(くげ)は朝廷,おおやけという意味で使用され,また漠然と天皇を指す場合もあった。…
…しかしこの時期には石母田に代表される領主制説に基づく中世社会論が支配的であったが,1950年代後半以降,これに対する反省・批判が表面化するとともに,清水の説が新たに再評価されはじめる。公家(くげ),寺家(じけ),社家(しやけ),武家(ぶけ)など,相互補完関係に立つ諸権門による農民(百姓)の支配に,中世社会の基本的な支配関係を見いだす黒田俊雄をはじめとして,大田文(おおたぶみ)に登録された公田(こうでん)を重視し,領主の私的隷属下におかれた下人(げにん)と異なる平民百姓を〈自由民〉と規定,領主に対する百姓の抵抗を評価する説が台頭してきた。石井進はこれを領主制説に対する反領主制説としているが,この2潮流は相互に交錯しつつも,二つの中世社会論として現在にいたっている。…
※「公家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...
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