六道輪廻(りんね)の思想,ないしは六道の情景を描く仏画で,日本では浄土信仰の昂揚した平安時代以降,大衆教化の役割をかねて制作された。六道絵の原形はインドに求められる。それは五輻の車輪形の中に五道(地獄,餓鬼,畜生,人間,天上)の相を描き,輪廻の思想を示したもので,《五趣生死輪》と呼ばれ,アジャンター17窟に遺例を見る。この種の六道絵は西域をへて中国に達したと思われるが,遺品は少なく,記録の上では地獄変が多作されている。日本でも奈良時代には因果応報思想が普及し,地獄や六道への関心が高まった。また平安時代に盛行した仏名会には地獄変屛風がめぐらされ,罪障懺悔の効果を高めるようはかられた。しかし六道への強い関心は,10世紀末浄土信仰の昂揚期に異常な高まりを見せ,源信は《往生要集》の冒頭の厭離穢土門で,六道輪廻の苦しみから脱するためには極楽浄土に往生せねばならぬとして,この厭うべき六道の情景を諸経を引用して克明に説いている。以後,六道輪廻の思想は,物語,詩歌などを通して人々の心に浸透していく。《往生要集》の説く六道の情景を絵画として表現したものに聖衆来迎寺の《六道絵》15幅がある。鎌倉中期の作で,地獄道と人道を各4幅,他の諸道を1幅ずつに描き,ほかに3図を加える。地獄の諸相と人道不浄相の表現はとりわけ生彩に富み,地獄の苛酷さや人道の無常感をみごとに描き出している。このほか同じく《往生要集》に依拠したと見られるものに,鎌倉初期に描かれた《地獄草紙》《餓鬼草紙》《病草紙》の一群の六道絵巻があり,記録の上からも鎌倉時代に六道を主題とする作品が少なからず制作されたことが知られる。
→浄土教美術
執筆者:浜田 隆
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人間以下の生物は因果応報により6種の世界,すなわち六道(天上・人間・修羅・畜生・餓鬼(がき)・地獄)に生死をくり返すという仏教の教えを図示した絵。その諸苦悩を深刻に表すことにより,煩悩を捨てて仏道に励むことを促す。地獄からの救済者である地蔵菩薩や十王像がともに描きこまれることもある。遺品に平安後期の「地獄草紙」「餓鬼草紙」,鎌倉時代の聖衆来迎寺蔵本などがある。聖衆来迎寺本は「往生要集」にもとづく15幅からなる傑作。各縦155.5cm,横68cm。国宝。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…永遠にみたされない渇きや飢えに苦しみ,救いを求めて人間界に出没するおぞましい餓鬼の姿を仮借ない筆で描き出す。六道輪廻思想に基づき,苦悩にみちた世界を強調し,欣求(ごんぐ)浄土へと人々を駆りたてた六道絵の一つ。2巻が現存し,東京国立博物館本(河本家旧蔵)は,絵のみ10段で,産婦を求め嬰児(えいじ)の便をうかがいその命を奪うという伺嬰児便餓鬼や,人間の糞を食いあさる食糞餓鬼など,《正法念処経(しようぼうねんしよきよう)》の説く餓鬼を描き,緻密ですぐれた描写力をみせる。…
… くしき符合というべきであるが,日本においても〈死の思想〉が急速に広まったのは王朝時代の末期から鎌倉時代の初期にかけてであった。古代末から中世的世界の形成期にかけて姿を現したといえるが,具体的には各種の〈往生伝〉の編述(王朝末期)および《地獄草紙》や《餓鬼草紙》などの六道絵の制作(鎌倉初期)となって実を結んだ。そしてそのような動きに大きな影響を与えたのが源信の《往生要集》であったことは重要である。…
…《正法念処経》には餓鬼に三十六鬼,地獄に八大地獄十六別所合わせて百三十六地獄があることを説いており,源信の《往生要集》もこれを受けて六道の苦を説いた。平安時代には多数の六道絵が描かれたことが文献に見えているが,《餓鬼草紙》《地獄草紙》はその一部が残ったのだろうという説もある。六道の苦を脱するのが仏教の解脱(げだつ)で,その上に声聞,縁覚,菩薩,仏の四聖を加えて十界とする説も広くおこなわれた。…
※「六道絵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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