内ノ谷村(読み)うちのたにむら

日本歴史地名大系 「内ノ谷村」の解説

内ノ谷村
うちのたにむら

[現在地名]春野町内ノ谷

鷲尾わしお山の南麓に南北に細長く位置する。「土佐州郡志」は「在長浜北西、東限長浜村高外場、西限芳原村高崎、南限諸木村関田、北限神田村天神越峯、東西十町南北四十町余」と記す。古来「内ノ谷日焼」と称され、干害を被ることが多かった。中世木塚氏が領有した喜津賀きづかのうちで、のちにはその東分に含まれたと思われるが、不詳。天正一七年(一五八九)の仲村郷喜津賀東分地検帳に「東分内谷村」とみえ、長宗我部元親の甥吉良親実領であったが、検地時には百姓地として分与した散田分と家臣給地とが大部分である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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