内島村(読み)うちじまむら

日本歴史地名大系 「内島村」の解説

内島村
うちじまむら

[現在地名]高岡市内島・荒屋敷あらやしきなど

小矢部おやべ川右岸に位置し、南は立野たての町、西は東石堤ひがしいしつつみ村。天文年間(一五三二―五五)内島広谷うちじまひろたにから移住し、開拓したのに始まるといわれる(続高岡史話)。枝村に荒屋敷がある。元和五年(一六一九)の家高新帳では中保村組に属して村名がみえ、役家数一四。正保郷帳では高三七六石余、田方二四町余・畑方一町、新田高七二石余。続いて内島新村として新田高二二九石余、田方一一町五反余・畑方三町八反、八ヶ島分として高一二三石余、田方七町二反余・畑方一町が高付されている。寛文一〇年(一六七〇)の村御印による草高七四四石・免四ツ八歩、明暦三年(一六五七)から寛文八年までの新田高五二石。

内島村
うちしまむら

[現在地名]七城町蘇崎そざき

打越うちこし村の北にあり、集落花房はなぶさ台地北西端の縁辺部に立地する。北側は菊池川左岸に開けた水田地帯。慶長九年(一六〇四)九月の検地帳に名請人は五三(うち屋敷持九)、田一二町八畝、畠・屋敷二七町余、分米三三三石余とある。同一三年の検地帳では、家数三五・居屋敷数一六・人数四四、牛馬一二。田一五町一反三畝余・畠三〇町五反一畝余、分米三八一石余。その後竹迫手永に属し、「国志草稿」には「三百九十五石ヨ 久住ト云小村アリ」、「国誌」は「高五百石余内久保ト云小村アリ」と記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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