内平野町(読み)うちひらのまち

日本歴史地名大系 「内平野町」の解説

内平野町
うちひらのまち

[現在地名]東区高麗橋詰こうらいはしづめ町・豊後ぶんご

東横堀ひがしよこぼり川に西面して南北に延びる町で、北は高麗橋こうらいばし筋を挟んで内両替うちりようがえ町、東は同町など、南は西町奉行所まで。同川に北から平野ひらの橋・思案しあん橋が架かる。平野橋は「当代記」にみえ、関ヶ原の戦の大坂城防衛線の一つであった。思案橋は同書には淡路町あわじまち橋とみえ、増田長盛が豊臣秀吉に橋名をつけることを命ぜられて思案したことによるとも、「東より西に渡れバ淡路町瓦町の間なるゆへ南にや行ん北へや往んと沈吟するを以て」名付けられたともいう(摂津名所図会大成)町名は明暦元年(一六五五)大坂三郷町絵図にみえる。内平野町二丁目に対して正式には一丁目を付けないのは、同町より先に単独で存在していたことによると考えられる。大坂三郷北組に属し、元禄一三年(一七〇〇)の三郷水帳寄帳では屋敷数二七・役数三四役で、うち年寄分・会所分各一役が無役。年寄は小西長右衛門。安政三年(一八五六)水帳(大阪市立中央図書館蔵)では屋敷数三二・役数三四役で、うち年寄分七分八厘役と会所分・御国役掛屋分各一役が無役。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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